ポイント解説
3つのイスラーム王朝、ティムール朝・サファヴィー朝・オスマン帝国についてです。ティムール朝の滅亡とほぼ同じ時期にサファヴィー朝が建国される一方、その西方ではオスマン帝国が600年以上にわたり存続しました。ここではオスマン帝国については発展期を扱います。
1.ティムール朝:1370~1507年
①建国
・1370年、ティムールが建国:在位1370~1405年
※西チャガタイ=ハン国の軍事指導者
→独立してティムール朝を建国(チャガタイ=ハン国は14世紀半ば頃に東西に分裂)
・都はサマルカンド
②遠征、領域の拡大
ⅰ.イル=ハン国滅亡後
※フラグが建国した国(1258~1353年)
→イラン~イラクの領土を併合
ⅱ.キプチャク=ハン国に侵入
※バトゥが建国した、ロシア南部のモンゴル人政権
ⅲ.北インドに侵入
ⅳ.アンカラ(アンゴラ)の戦い:1402年
・オスマン帝国を打ち破る
ⅴ.死去
・1405年、明への遠征中に死去
※永楽帝の時代
③ウルグ=ベク
・第4代君主(在位1394~1449)
・サマルカンドに天文台を建設
④ティムール朝の滅亡
・1507年、トルコ系の遊牧ウズベクにより滅ぼされる
※ティムールの子孫バーブルがインドにのがれ、ムガル帝国を建国
2.サファヴィー朝:1501~1736年
①建国
・イスマーイールが建国:在位1501~24
※神秘主義教団(スーフィズムなど)の長だった
→建国後はシーア派(その中でも十二イマーム派)を国教とし、シャーの称号を用いる(古代イランの「王」の意味)
②最盛期:アッバース1世
・第5代の王(在位1571~1629)
・オスマン帝国と戦い領土の一部を取り戻す
・ホルムズ島からポルトガル人を追放
・イスファハーンに都を移す
→イマーム=モスクを建設
※商業・文化の中心として繁栄:「イスファハーンは世界の半分」(の価値がある)と表現される
③滅亡
・アフガン人が侵入、18世紀前半に滅亡
3.オスマン帝国:1299~1922年
※発展期(13~16世紀)、停滞期(17~18世紀)、衰退期(19世紀~)に分類
①建国
・オスマン1世(オスマン=ベイ)が建国:在位1299~1326
・ルーム=セルジューク朝から独立し、小アジアに建国
→その後、領域を拡大
②バヤジット1世:在位1389~1402
ⅰ.ニコポリスの戦い:1396年
・キリスト教連合軍に勝利
ⅱ.アンカラ(アンゴラ)の戦い:1402年
・ティムールに敗れ、捕虜となる
※オスマン帝国の中断(10年余り)
③メフメト2世:在位1444~46、51~81
・1453年、ビザンツ帝国を滅ぼす
→コンスタンティノープルに首都を定め、以後イスタンブルと呼ぶ
④セリム1世:在位1512~20
・成立直後のサファヴィー朝を破る
・1517年、マムルーク朝を滅ぼす:エジプト・シリア地域を支配
→聖都メッカ・メディナの保護権を獲得
※以後、オスマン帝国のスルタンはスンナ派イスラーム教の中心的守護者となる
⑤スレイマン1世:在位1520~66
・最盛期を築く:相次ぐ遠征、領土が最大に
ⅰ.ハンガリー征服:1526年
・モハーチの戦いに勝利
ⅱ.第1次ウィーン包囲:1529年
・オーストリアの首都ウィーンを包囲
→冬の到来により撤退
※オーストリア(ハプスブルク家)と対立するフランス(ヴァロワ家)と協力
ⅲ.フランス(フランソワ1世)と同盟:1535年
・神聖ローマ帝国(カール5世)を圧迫
ⅳ.プレヴェザの海戦:1538年
・スペイン・ヴェネツィアなどの連合艦隊を破る
→地中海の制海権(支配権)を獲得
ⅴ.スレイマン=モスク
・オスマン建築を代表する大モスク
・1557年完成
ⅵ.カピチュレーション
・フランス商人に帝国内での居住と自由な商業活動を認めた
⑥セリム2世:在位1566~74
ⅰ.カピチュレーションを公認
・1569年、フランスに公認したのが最初
※スレイマン1世の時代の慣習を公に認める
ⅱ.レパントの海戦:1571年
・スペイン・ヴェネツィアなどの連合艦隊に敗北
4.オスマン帝国の諸制度
①ミッレト
・非ムスリムの宗教共同体
※キリスト教徒、ユダヤ教徒など
・納税を条件に、自治を認める
②ティマール制
・オスマン帝国の軍事封土制
・シパーヒー(トルコ系騎士)はスルタンから与えられた土地(ティマール)の徴税権を認められた
※イクター制を継承したもの
③イェニチェリ
・オスマン帝国の歩兵常備軍
・征服したバルカン半島のキリスト教徒の子弟を強制的に徴用(デヴシルメ)