世界史:ウィーン体制(概略)

ポイント解説

ウィーン体制の確立により、一時的に旧来の封建勢力が優勢になりました。しかし、ブルジョワジー(豊かな市民や資本家)勢力の抵抗によりウィーン体制は動揺し、最終的には封建勢力が打ち負かされてウィーン体制は崩壊、資本主義体制がヨーロッパに定着しました。


1.ウィーン体制の成立

ウィーン会議:1814~15年

メッテルニヒ(墺)の提唱による

・オスマン帝国を除く全ヨーロッパ諸国の代表が参加

・原則:タレーラン(仏)の正統主義

※ヨーロッパをフランス革命以前の体制に戻そうとする考え方

 

ウィーン議定書:1815年調印

・国際的な保守反動体制

ウィーン体制の成立

 

・フランス:ブルボン朝の復活

ドイツ連邦の成立

スイス:永世中立国に

 

③ウィーン体制の強化

ⅰ.神聖同盟

・イギリス・ローマ教皇・オスマン帝国を除く全ヨーロッパの君主が参加

 

ⅱ.四国同盟

・イギリス、ロシア、オーストリア、プロイセン

(のちフランスが加わり五国同盟に)


2.自由主義・国民主義(ナショナリズム)の運動

・自由主義的改革を求める動き

※ウィーン体制の維持を図る各国によりいずれも鎮圧

 

ブルシェンシャフトの運動

ドイツの学生組合による改革要求

・メッテルニヒが弾圧

 

カルボナリの蜂起

イタリアの秘密結社

・メッテルニヒが弾圧

 

③スペイン立憲革命

・フランス軍の干渉で挫折

 

デカブリスト(十二月党員)の乱

・1825年、ニコライ1世の即位に際してロシアの青年貴族士官らが蜂起 

→鎮圧される


3.ウィーン体制の動揺

①ラテンアメリカ諸国の独立

・1822年、ブラジルの独立など

※ヨーロッパから離れた所から

 

ギリシア独立戦争:1821~29年

・ギリシアがオスマン帝国から独立

 

七月革命:1830年7月、フランス

シャルル10世への不満が増大

※ルイ18世が即位しブルボン朝が復活していた

・パリ民衆が蜂起、ブルボン朝を倒す

七月王政が成立:ルイ=フィリップが即位

 

④その他

ⅰ.ベルギー

・1830年、オランダから独立

 

ⅱ.ポーランド、ドイツ、イタリアでの蜂起

・いずれも鎮圧


4.ウィーン体制の崩壊

二月革命フランス

・パリで革命が起こる

→国王ルイ=フィリップは亡命

第二共和政の成立

 

三月革命:オーストリアとドイツ

ⅰ.オーストリア

・ウィーンで革命が起こる

メッテルニヒ失脚

 

ⅱ.ドイツ

・ベルリンで革命が起こる

→自由主義的内閣の成立

 

③その他:いずれも1848年に始まる

ベーメン(ボヘミア)民族運動

ハンガリー民族運動

イタリア民族運動

 

1848年革命

・ヨーロッパ各地で起こった革命の総称

「諸国民の春」と呼ばれる状況になる

ウィーン体制も崩壊