世界史:中世のフランス(概略)

ポイント解説

ノルマン征服により当初から王権の強かったイギリスと異なり、フランスの王権は領土も狭く、弱いものでした。それが次第に領土の拡大とともに王権が強化されていきます。カロリング朝の後はカペー朝ヴァロワ朝と、イギリスに比べシンプルです。


0.西フランク王国のカロリング朝:843~987年

・987年、カロリング家の血筋が断絶

 

1.カペー朝:987~1328年

ユーグ=カペー(在位987~996年)

・パリ伯から即位、カペー朝を建国

※王権は弱い:北フランスの一部のみ領有

 

フィリップ2世(在位1180~1223年)

ⅰ.領地の奪回

・イギリスのジョン王に勝利

→フランス国内のイギリス領の大半を奪う

 

ⅱ.アルビジョワ十字軍の開始

・アルビジョワ派討伐のため、南フランスに侵攻

アルビジョワ派カタリ派…キリスト教の異端の一派

 

ⅲ.第3回十字軍に参加

・イギリス王リチャード1世(獅子心王)と対立し途中帰国

 

ルイ9世(在位1214~70年)

ⅰ.アルビジョワ十字軍の完成

→南フランスに王権(領土)を拡大

 

ⅱ.モンゴル帝国との交流

・修道士ルブルックを派遣

→1254年、モンケ=ハンと会見

 

ⅲ.十字軍への参加

・第6回十字軍:1248~54年

・第7回十字軍:1270年

※いずれも失敗

 

フィリップ4世(在位1268~1314年)

・カペー朝の最盛期を築く

・絶対王政の基礎を確立

 

ⅰ.三部会の開設:1302年

・聖職者・貴族・平民の代表者が出席する身分制議会

 

ⅱ.アナーニ事件:1303年

・教皇ボニファティウス8世をとらえる

→教皇は釈放後、急死

 

ⅲ.教皇のバビロン捕囚:1309~77年

・教皇庁をフランスのアヴィニョンに移転

※教皇はフランス国王の支配下に置かれた(王権の強化)

 

2.ヴァロワ朝:1328~1589年

・カペー朝が断絶し、ヴァロワ朝建国

 

百年戦争:1339~1453年

・イギリスVSフランスの戦争

 

ⅰ.対立の背景と開戦

・フランドル地方をめぐる対立

※毛織物の産地。イギリスはこの地方に羊毛を輸出

(北ヨーロッパ商業圏)

※地図でいうとイギリスのすぐ右下の地域

 

・イギリス国王エドワード3世がフランス王位継承権を主張し、開戦

※エドワード3世フィリップ4世(カペー朝)の孫

 

ⅱ.戦争前半:イギリス優位

・1346年、クレシーの戦いイギリスの勝利

 ※エドワード黒太子の活躍

・黒死病(ペスト)の流行

 →フランス国内で多くの死者

 

・1358年、ジャックリーの乱:フランスの農民反乱

・オルレアンの包囲イギリス軍がフランス国王シャルル7世を包囲

 

ⅲ.戦争後半:フランス優位

・15世紀前半、ジャンヌ=ダルクの登場

→オルレアンの包囲を破る

→形勢逆転へ

 

ⅳ.百年戦争の終結

・イギリス軍を追い出す(カレーを除く)

→1453年、フランスの勝利で終結

シャルル7世(在位1422~61年)のとき

 

ⅴ.戦争の影響

・諸侯・騎士の没落(イギリスと同じ)

シャルル7世による中央集権化

(王権の強化)

→15世紀末に中央集権化が完成

 

イタリア戦争:1494~1559年

・1494年、ランス国王がイタリアに侵入

神聖ローマ帝国と戦争になる

(ヴァロワ家VSハプスブルク家)

 

フランソワ1世(在位1515~47年)

・イタリア戦争の継続

 ※神聖ローマ皇帝カール5世と対立

・レオナルド=ダ=ヴィンチを保護


漢字の読み方

黒太子:こくたいし