ポイント解説
1853年にペリーが来航し、1854年に日米和親条約を結んで開国。さらに1858年には日米修好通商条約をはじめとする安政の5か国条約を各国と結んで貿易を開始しました。こうして鎖国は終わりをつげます。開国による混乱は尊王攘夷運動の高まりをまねくことになりました。
1.開国
①ペリーの来航
・1853年、アメリカのペリーが来航
※4隻の軍艦で浦賀(神奈川県)に来航
②開国
・1854年、ペリーが再び来航
・日米和親条約を結ぶ
※条約の内容
・下田(静岡県)と函館(北海道)の2港を開くこと
・日本はアメリカ船に食料・水・石炭などを供給すること
2.不平等条約と貿易の開始
・1858年、日米修好通商条約を結ぶ
①条約の内容
・函館、神奈川(横浜)、長崎、新潟、兵庫(神戸)の5港を開き、自由な貿易を認める
・不平等な内容(日本に不利)
→領事裁判権(治外法権)を認める
※日本国内で犯罪をしたアメリカ人に対しては、アメリカがアメリカの法律で裁判を行う
→日本に関税自主権がない
※関税率を日本側が自由に決めることができない(安い外国製品がどんどん日本に入ってきてしまう。結果、日本製品が売れず、日本の産業が成長しなくなるおそれ)
②大老井伊直弼
・朝廷は条約の調印を認めなかった
→江戸幕府の大老・井伊直弼が反対をおさえて調印
※このことが批判をまねく
③安政の5か国条約
・日米修好通商条約と同様の内容の条約を、オランダ、イギリス、フランス、ロシアとも同様の条約を結んだ
※アメリカをふくむ5か国と条約を結んだ
3.貿易の状況
①貿易統計
・おもな輸出品:生糸(80%以上)、茶など
・おもな輸入品:毛織物、綿織物、武器など
・最大の貿易港:横浜
・最大の貿易相手国:イギリス
②開国・貿易の影響
・大量の金貨が流出
→質を落とした貨幣を発行
・多くの品が輸出され、国内で品不足になる
→物価が上昇:生活が苦しくなり、民衆や武士は不満を高める
漢字の読み方
・隻:せき
・浦賀:うらが
・日米和親条約:にちべいわしんじょうやく
・下田:しもだ
・函館:はこだて
・日米修好通商条約:にちべいしゅうこうつうしょうじょうやく
・領事裁判権:りょうじさいばんけん
・治外法権:ちがいほうけん
・大老:たいろう
・井伊直弼:いいなおすけ
・安政の5か国条約:あんせいのごかこくじょうやく
・生糸:きいと
※絹の糸
・毛織物:けおりもの
・綿織物:めんおりもの