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中学歴史:昭和時代②戦後/解説(ざっくり)

日本で「戦後」という場合、1945年(昭和20年)以降のことをいいます。昭和の時代は1989年(昭和64年)まで続きました。 

 

1.占領下の日本

敗戦した日本は、連合国軍最高司令官総司令部GHQ)による間接統治のもとにおかれることになりました。GHQの最高司令官はマッカーサーでした。なお、沖縄県小笠原諸島アメリカ軍が直接統治しました。

一方、北方領土ソ連に占領されました。

 

②民主化

GHQのもと、日本はさまざまな制度を民主化していきました。

まず、選挙権の拡大です。それまで男性にのみ認められていた選挙権を女性にも認めました。これにより、満20歳以上のすべての男女に選挙権が保障されました。

経済面では、戦前の軍国主義を経済面で支えていた財閥を分割しました。これを財閥解体といいます。

労働者の権利保障については、労働組合法を制定して労働者の団結権を保障し、労働基準法を制定して労働条件の最低基準を定めました。

農村では、農地改革が実施されました。

  

日本国憲法の制定

大日本帝国憲法を改正する手続きにより、日本国憲法が1946年11月3日に公布され、半年後の1947年5月3日に施行されました。

日本国憲法の3つの基本原理は、国民主権基本的人権の尊重平和主義です。

大日本帝国憲法で主権者とされた天皇は、日本国憲法では日本国と日本国民統合の象徴と規定されました。

※憲法について、くわしくは公民で学びます。

   

2.戦後世界の動き

国際連合の成立

2度の世界大戦への反省から、1945年10月に国際連合が設立されました。世界の平和を守るための国際機関です。

国際連合の主要機関の1つに、安全保障理事会があります。安全保障理事会の常任理事国アメリカ、イギリス、フランス、ソ連、中国の5か国で、この5か国は拒否権を有するなどの特権を認められています。

 

冷戦(冷たい戦争)

戦後の世界は、冷戦の時代でもありました。戦火を交えない対立です。世界は東西の陣営に分かれてはげしく対立しました。

西側陣営アメリカを中心とする資本主義国の陣営で、東側陣営ソ連を中心とする社会主義国の陣営でした。

  

③各国の状況

敗戦国のドイツは、東ドイツ西ドイツに分かれてしまいました。1960年代に建設されたベルリンの壁は、「冷戦の象徴」ともよばれました。

 

中国では1949年に中華人民共和国が成立しました。毛沢東を主席とする社会主義国です。

 

日本の支配が終わった朝鮮半島は、南に大韓民国、北に北朝鮮が成立しました。1950年、北朝鮮が韓国に侵攻して朝鮮戦争が始まりました。1953年に休戦協定が結ばれ、現在に至っています。

  

④アジア・アフリカ諸国の動き

・1955年、アジア・アフリカ会議インドネシアバンドンで開催され、日本も参加しました。

  

3.占領政策の転換

①特需景気

1950年に朝鮮戦争が始まると、韓国を支援するために出動したアメリカ軍が、大量の軍需物資を日本で調達するようになりました。これにより日本は好景気となり、経済復興が早まりました。

 

②再軍備

朝鮮戦争を受けて、1950年、GHQの指令により日本は警察予備隊を設置しました。警察予備隊はその後1954年に自衛隊となりました。

 

③日本の独立回復と安保条約

1951年、吉田茂内閣が48か国との間でサンフランシスコ平和条約に調印し、これが翌年発効したことで、日本は独立を回復しました。つまり、GHQによる占領が終わりました。ただし、沖縄県などは引き続きアメリカの統治下におかれ、この時点では返還されませんでした。

サンフランシスコ平和条約と同時に、アメリカとの間で日米安全保障条約が調印され、引き続きアメリカ軍に日本に駐留することになりました。この日米安全保障条約は1960年に改定されました。

 

4.日本の外交

①日本の国際社会への復帰

1956年、日本は日ソ共同宣言に調印し、ソ連と国交を回復しました。これにより、国際連合への加盟が実現し、日本は国際社会への復帰をはたしました(国交が回復する前は、日本の国連加盟をソ連が反対していたのです)。

 

②近隣諸国との外交

韓国とは1965年、日韓基本条約に調印して国交正常化しました。

中国(中華人民共和国)とは1972年、日中共同声明を発表し、国交正常化しました。さらに1978年には日中平和友好条約に調印しました。

 

沖縄の日本復帰

・1972年、アメリカから沖縄が返還されました。

 

非核三原則

唯一の被爆国である日本は、核兵器を「持たず、つくらず、持ちこませず」という国の方針を示しました。

 

5.戦後の日本経済

①高度経済成長

日本経済は、1955年から1973年まで、高い経済成長率を記録しました。これを高度経済成長といいます。

高度経済成長期まっただ中の1964年には、東海道新幹線が東京・大阪間に開通したほか、アジアで初となる東京オリンピックが開催されました。

 

②高度経済成長の終わり

1973年に発生した石油危機オイル・ショック)で石油価格が大きく値上がりしたことで、先進工業国は不況となり、日本の高度経済成長も終わりました。

 

③公害問題の深刻化と対応

高度経済成長の一方で、環境が汚染され、公害が発生しました。四大公害裁判といって、水俣病、新潟水俣病、イタイイタイ病、四日市ぜんそくをめぐる裁判も起こされました。

公害対策として、政府は1967年、公害対策基本法を制定しました。この法律は、1993年に環境基本法になりました。また、1971年には、公害問題を取りあつかう環境庁がされました。環境庁は2001年に環境省となりました。