鎌倉時代・続き
4.鎌倉文化
①建築・文学
・東大寺南大門:門の左右には金剛力士像が置かれている
・「新古今和歌集」…編集を担当した藤原定家らの和歌を収録
・「平家物語」…源平の争乱や平氏の繁栄と没落をえがいた軍記物
→琵琶法師によって語り伝えられた
・「方丈記」…鴨長明の随筆集
・「徒然草」…兼好法師(吉田兼好)の随筆集
②鎌倉時代の新しい仏教
・浄土宗:法然
→「南無阿弥陀仏」と念仏を唱えることを説いた
・浄土真宗(一向宗):親鸞(法然の弟子)
→悪人こそ救われる、と説いた
・時宗:一遍
→踊念仏による布教を展開した
・日蓮宗:日蓮
→法華経の題目「南無妙法蓮華経」を唱えることを説いた
・禅宗:座禅によって自分で悟りを開こうとする
・臨済宗:栄西
→幕府の保護を受けて発展した
・曹洞宗:道元
→ひたすら座禅を行うことを説いた
5.元寇
①フビライ・ハン
・モンゴル帝国を建国したチンギス・ハンの孫
・国号を元とする
・日本に対して従属を求めるが、鎌倉幕府の8代執権北条時宗は拒否
→元は2度にわたって日本をおそった
②2度の襲来
ⅰ.1274年、1度目の戦い
・元:集団戦法、火薬を使った武器
・日本:御家人たちは苦戦(一騎打ち)
・暴風雨により元軍は引き上げた
ⅱ.1281年、2度目の戦い
・幕府が海岸に築かせた石塁(防塁)
→元軍は上陸すらできず
・またも暴風雨により元軍は引き上げた
6.鎌倉幕府の衰退
ⅰ.苦しくなる御家人の生活
・理由①:分割相続によって御家人の領地が小さくなった。
・理由②:元寇での戦いに対する恩賞が不十分
※外国との戦いのため、新たな土地が得られなかった
ⅱ.御家人の救済
・1297年、徳政令(永仁の徳政令)
・目的:生活の苦しい御家人を救うため
・内容:借金の帳消しや、御家人が失った土地をただで取り戻させた
・結果:かえって経済が混乱。幕府への不満が高まる
ⅲ.悪党の出現
・荘園領主に年貢を納めず、幕府にも従わない、新興の武士などの集団
7.鎌倉幕府の滅亡
・後醍醐天皇が政治の実権を朝廷に取り戻そうとして、幕府をたおす計画
・有力御家人の足利尊氏らも協力
→1333年、鎌倉幕府がほろぶ
漢字の読み方
・東大寺南大門:とうだいじなんだいもん
・金剛力士像:こんごうりきしぞう
・藤原定家:ふじわらのさだいえ(ふじわらのていか)
・琵琶法師:びわほうし
・方丈記:ほうじょうき
・鴨長明:かものちょうめい
・徒然草:つれづれぐさ
・兼好法師(吉田兼好):けんこうほうし(よしだけんこう)
・浄土宗:じょうどしゅう
・法然:ほうねん
・南無阿弥陀仏:なむあみだぶつ
・浄土真宗(一向宗):じょうどしんしゅう(いっこうしゅう)
・親鸞:しんらん
・時宗:じしゅう
・一遍:いっぺん
・踊念仏:おどりねんぶつ
・日蓮宗:にちれんしゅう
・南無妙法蓮華経:なむみょうほうれんげきょう
・禅宗:ぜんしゅう
・臨済宗:りんざいしゅう
・栄西:えいさい
・曹洞宗:そうとうしゅう
・道元:どうげん
・元寇:げんこう
・北条時宗:ほうじょうときむね
・石塁(防塁):せきるい(ぼうるい)
・永仁の徳政令:えいにんのとくせいれい
・悪党:あくとう
・後醍醐天皇:ごだいごてんのう
・足利尊氏:あしかがたかうじ