日:日中戦争と戦時体制の強化、第二次世界大戦の始まり


I.日中戦争と戦時体制の強化

1.華北分離工作

①関東軍の方針

・中国華北の5省を国民政府の支配から切り離して支配を目論む(準満州化)

 

②冀東防共自治委員会:1935年

・関東軍が樹立した傀儡政権

 

③内閣の方針

・1936年、広田弘毅内閣華北分離を国策と決定

 

④抗日救国運動

・日本に対する中国人の武力抵抗


2.西安事件1936年

張学良蔣介石を監禁し、共産党との内戦停止と抗日を要求

⇒国民政府は共産党討伐(内戦)を中止し、日本に対抗


3.日中全面戦争

盧溝橋事件:1937年7月7日

 ※第1次近衛文麿内閣成立直後

北京郊外盧溝橋で日中が武力衝突

日中戦争:正式な宣戦布告のないまま全面戦争に発展

 

②推移

第1次近衛文麿内閣は華北派兵を決定

・初めは中国北部だけの「北支事変

 ⇒戦線が拡大し「支那事変」と呼ばれる

 

ⅰ.第2次上海事変:1937年8月

・戦火が南方に拡大

 ※第1次上海事変は満州事変後の1932年

 

ⅱ.第2次国共合作:1937年9月

国民党共産党が再提携し日本に対抗

 ⇒抗日民族統一戦線を形成

 ※第1次国共合作は1924~27年。軍閥に対抗

 

ⅲ.南京占領:1937年12月

・国民政府の首都南京を占領

南京事件:多数の中国人が殺害される

 

ⅳ.国民政府の徹底抗戦

南京→漢口→重慶と退いて抗戦

※戦争の長期化

 

近衛声明

ⅰ.第一次近衛声明:1938年1月

国民政府を対手とせず」声明

・南京占領を機に発表

※和平の道を閉ざすことに

 

ⅱ.第二次近衛声明:1938年11月

東亜新秩序声明:戦争の目的は日満華3国連帯による東亜新秩序建設にあるとした

 

ⅲ.第三次近衛声明:1938年12月

近衛三原則声明:「善隣友好・共同防共・経済提携」

 

④戦争終結の失敗との長期化

ⅰ.新国民政府の樹立

汪兆銘(汪精衛)が第三次近衛声明に応じて重慶を脱出

 ⇒南京新国民政府を樹立

・日本は新国民政府を正式に承認

 ※日本の傀儡で弱体

 

ⅱ.援蔣ルート

重慶国民政府(蔣介石政権)は米英から支援を受けて抗戦を継続


4.戦時統制と生活

※経済・生活・思想など幅広く統制

1937年

ⅰ.『国体の本義』

・文部省が発行。国民思想の教化

・以後の思想統制の基準となる

 

ⅱ.臨時資金調整法

・軍需産業などに積極的に融資

・政府による直接的な経済統制

 

ⅲ.輸出入品等臨時措置法

・貿易に関する物資を統制

 

ⅳ.企画院

・戦争遂行のための物資動員計画を作成

・1943年に新設の軍需省に統合

 

ⅴ.国民精神総動員運動

・節約・貯蓄など国民の戦争協力をうながすために政府が展開

 

ⅵ.矢内原事件

・東京帝国大学教授の矢内原忠雄が政府の大陸政策を批判

⇒教授を辞職し、著書は発禁処分

 

ⅶ.人民戦線事件(~1938年)

・東大助教授の大内兵衛らを検挙

 

②1938年

ⅰ.国家総動員法

・政府は議会の承認なしに、勅令で物資や労働力の動員が可能になった

 

ⅱ.電力国家管理法

・民間の電力会社を単一の国策会社に統合

 

ⅲ.産業報国会

・職場ごとに結成。労使一体で国策に協力

 

1939年

ⅰ.賃金統制令

・業種ごとに賃金を公定

 

ⅱ.国民徴用令

・国民を強制的に徴発し、軍需産業などに動員

 

ⅲ.価格等統制令

・値上げの禁止、公定価格制を実施

※ⅰ~ⅲとも国家総動員法にもとづく勅令

 

④1940年

ⅰ.七・七禁令

・ぜいたく品の製造・販売を禁止

※7月7日に施行

 

ⅱ.切符制

砂糖マッチなどの消費を制限するため

 ⇒その後、衣料など全ての日用品に拡大

 

ⅲ.供出制

・政府がなどの食糧農産物を強制的に買い上げる制度

 

ⅳ.大日本産業報国会

・全ての労働組合が解散して結成

 

⑤1941年

米の配給制が開始


II.第二次世界大戦の始まりと日本

1.平沼騏一郎内閣:1939.1~8

※枢密院議長

①国際情勢の変化

ドイツと軍事同盟の締結交渉

 

日米通商航海条約破棄通告

・1939年7月、アメリカから通告

・翌1940年失効

 

独ソ不可侵条約:1939年8月

平沼内閣総辞職:「欧州情勢は複雑怪奇」


2.日本・ソ連の武力衝突

満州国境で日ソの武力衝突

 ※日本軍の敗北 

 

張鼓峰事件:1938年7~8月

※近衛①内閣のとき

・ソ連・満州の国境不明確地帯で衝突

 

ノモンハン事件:1939年5~9月

・満蒙国境にてソ連・モンゴル連合軍と戦闘

※戦闘中に独ソ不可侵条約が締結される


3.阿部信行内閣:1939.8~40.1

※陸軍大将

1939年9月、ドイツがポーランドに侵攻

イギリスフランスドイツに宣戦し第二次世界大戦が始まる

※日本は不介入方針。ドイツとの軍事同盟に消極的


4.米内光政内閣:1940.1~7

※海軍大将。親米派

①斎藤隆夫の反軍演説

・中国での戦争政策を批判

 ⇒議員除名となる

 

②欧州情勢の変化

・1940年、フランスがドイツに降伏

 ⇒ドイツに抵抗を続けるのはイギリスのみに

※ドイツに接近し、資源確保のため南方に進出する主張が強まる 


5.新体制運動

・ナチ党やファシスト党にならい、一国一党の国民組織の結成をめざす革新運動

・1940年、近衛文麿が中心となって進められた

 ⇒各政党は解散して参加を表明

米内光政内閣の親米路線を批判、退陣に追い込む


6. 第2次近衛文麿内閣:1940.7~41.7

①積極政策への転換

※外相:松岡洋右

・欧州大戦不介入方針の転換

ドイツ・イタリア・ソ連との連携強化

・南方への進出(南進政策)

 

②南方進出

北部仏印進駐:1940年9月

 ※目的:援蔣ルートの遮断、南進

 

日独伊三国同盟:1940年9月

・独伊のヨーロッパ、日本のアジアにおける指導的地位を確認

 

※アメリカの経済制裁

・航空機用ガソリン、屑鉄、鉄鋼の対日輸出禁止

 

大政翼賛会の成立:1940年10月

・諸政党・各団体が解散して結成

・総裁は総理大臣。支部長を道府県知事がつとめる

部落会町内会隣組を下部組織とする上意下達機関

 ※政党組織ではない

 

⑤国民思想の教化

国民学校:1941年4月

・小学校を改称

・忠君愛国の国家主義教育の推進

・「小国民」の育成をめざす

 

⑥朝鮮・台湾

ⅰ.皇民化政策

・日本人同化政策

・日本語教育の徹底、神社参拝などの強制

 

ⅱ.創氏改名

朝鮮で実施。皇民化政策の一環

・姓名を日本風に改めさせる