I.戦後の世界秩序の形成
1.国際連合
①発足
・1945年6月、国連憲章の採択
・1945年10月設立:51カ国が参加
②安全保障理事会
・主要機関の1つ
・常任理事国5カ国と、非常任理事国10カ国で構成
※常任理事国のアメリカ・イギリス・フランス・ソ連・中国は拒否権を持つ
2.米ソ対立
冷戦(冷たい戦争)
・アメリカとソ連の戦火を交えない対立
※米ソは西欧諸国にかわり超大国となった
3.植民地解放・独立の動き
①東南アジア
・インドネシア:オランダからの独立運動
・ベトナム:フランスからの独立運動
②朝鮮
・北:ソ連が占領
・南:アメリカが占領
※北緯38度線を境とする
4.冷戦体制の形成
※冷戦は1945年2月のヤルタ会談がきっかけ
・二大陣営の形成:東西冷戦の本格化
①西側陣営
・資本主義・自由主義陣営
・アメリカが主導
・自由主義による経済・貿易体制
ⅰ.トルーマン=ドクトリン:1947年
・トルーマン大統領がソ連「封じ込め」政策を声明
ⅱ.マーシャル=プラン:1947年
・西欧諸国の復興と軍備増強を援助
・ヨーロッパの共産主義勢力との対決姿勢を示す
ⅲ.北大西洋条約機構(NATO):1949年結成
・アメリカと西欧諸国との共同防衛組織
※集団安全保障機構
②東側陣営
・社会主義・共産主義陣営
・ソ連が主導
・東欧に共産主義国家の建設
ⅰ.ワルシャワ条約機構:1955年結成
・ソ連と東欧諸国との共同防衛組織
※集団安全保障機構
5.中国
①国共内戦の再開:1946~49年
ⅰ.国民党
・蔣介石中心
・アメリカの支援を受ける
ⅱ.共産党
・毛沢東中心
・農民の支持を受ける
※共産党が勝利
③中華人民共和国の成立:1949年10月
・毛沢東を主席として、建国を宣言
※社会主義国家
・1950年、中ソ友好同盟相互援助条約を締結し、東側陣営に属す
ⅳ.国民党
・台湾にのがれ、蔣介石を総統として中華民国を存続
6.朝鮮
①終戦後:分割占領
・北緯38度線を境とする
・北:ソ連が占領
・南:アメリカが占領
②国家の分立:1948年
ⅰ.北
・朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)
・首相:金日成
ⅱ.南
・大韓民国(韓国)
・大統領:李承晩
II.対日政策の転換と講和
1.占領政策の転換
①アメリカの対日政策の転換
ⅰ.背景・契機
・社会主義勢力の拡大への危機感
※中国内戦で共産党が優勢。アジアでの冷戦の激化
ⅱ.ロイヤル陸軍長官の演説:1948.1
・「日本の経済自立を促し、共産主義の防壁に」
ⅲ.外交官ケナンの提言:1948.10
・日本の経済復興、再軍備など対日政策の転換が決定
※非軍事化・民主化・経済抑制から、資本主義国化・経済自立へ
②各種政策の転換
ⅰ.企業分割の緩和
・財閥解体は不徹底に終わる
ⅱ.国家公務員法の改正
・政令201号にもとづく
・公務員のストライキ禁止を明記
ⅲ.公職追放の解除
・1949年から実施
2.第2次~第5次吉田茂内閣:1948.10~54.12
※民主自由党⇒自由党
・民主自由党:1948年3月、民主党脱党派を吸収して発足
・自由党:1950年3月発足。第3次吉田茂内閣の途中から。長期保守政権となる
①経済安定九原則:1948.12
・GHQから吉田茂②内閣に指令
ⅰ.目標
・インフレの収束、財政再建
※傾斜生産方式の弊害の排除
ⅱ.内容
・予算均衡、徴税強化、物価統制など
②ドッジ=ライン
・経済安定九原則実行のための具体的な施策
・1949年、デトロイト銀行頭取ドッジが来日、吉田茂③内閣に勧告
ⅰ.超均衡予算
・絶対に赤字を許さない予算編成
・財政支出の大幅削減
ⅱ.単一為替レートの設定
・1ドル=360円とする
・日本経済を国際経済に直結させる
ⅲ.結果
・インフレは収束したが、深刻なデフレ・不況に
・人員整理による失業者の増大
③シャウプ勧告:1949年
・財政学者シャウプらによる勧告
・税制改革の実施:直接税中心、所得税の累進課税制の採用
④労働運動の抑圧
・相次ぐ怪事件:1949.7~8
※国鉄の人員整理発表直後に
ⅰ.下山事件
・下山定則国鉄総裁の怪死事件
ⅱ.三鷹事件
・中央線三鷹駅構内で無人電車が暴走事故
ⅲ.松川事件
・東北本線松川駅(福島県)で列車の脱線・転覆事故
⇒国鉄労働組合や共産党の関与が疑われ、労働運動に打撃
※裁判で無罪。いずれも真相は不明
⑤労働組合の再編
ⅰ.日本労働組合総評議会(総評)の結成:1950年
・産別会議の共産党指導に反対
・GHQの後押しで結成
・その後、日本社会党と連携、保守政治に反対
※1989年、連合の結成まで存続
3.朝鮮戦争の勃発:1950年
①戦争当事国
ⅰ.北朝鮮
・中国人民義勇軍が介入・支援
ⅱ.韓国
・アメリカ軍が国連軍として介入・支援
②休戦:1953年
・板門店で休戦協定に調印
③朝鮮戦争の日本への影響
・占領政策の転換が急速化:吉田茂③内閣のとき
ⅰ.レッドパージ:1950年
・共産党幹部や共産主義者の公職追放
・マスコミ、官公庁、企業にも広がる
ⅱ.公職追放の解除:1950年~
・戦犯服役者の釈放
⇒保守派の政財界への復帰
ⅲ.再軍備
・1950年、警察予備隊の設置
※在日米軍の朝鮮動員後の軍事的空白を埋めるため、治安維持のため
・公職追放を解除された旧軍人を採用
※1952年に保安隊、1954年に自衛隊へと改組
4.講和と安保条約
・アメリカは日本との講和を急ぐ
※日本を西側陣営に組み込むため
①講和論争
ⅰ.単独講和論
・西側陣営のみとの講和を主張
・アメリカのダレス外交顧問、吉田茂③内閣の立場
ⅱ.全面講和論
・ソ連・中国を含む全交戦国との講和を主張
・南原繁、大内兵衛ら知識人、日本社会党、日本共産党の立場
②サンフランシスコ平和条約
ⅰ.サンフランシスコ講和会議
・1951年9月開催、52カ国が参加
・日本の首席全権は吉田茂
※日本と48カ国との間で調印
ⅱ.条約の内容
・戦争の終結
・日本の領土の範囲を画定
・朝鮮の独立の承認、台湾の放棄
・北方:樺太・千島の放棄(帰属は未決定)
※ソ連が占領
・南方:アメリカの施政権下に
※奄美諸島:1953年返還
※小笠原諸島:1968年返還
※沖縄:1972年返還
ⅲ.賠償
・総額10億ドルの支払い
⇒1976年に完了
※多くの国は賠償権放棄
・旧占領地:フィリピン、インドネシア、ビルマ、南ベトナム
⇒各国と賠償協定
・非交戦国:タイ、韓国
⇒賠償に準ずる支払いを行う
ⅳ.条約の発効:1952年4月
・占領が解除され、日本は主権を回復
ⅴ.講和条約に調印しなかった国々
・会議に招待されなかった国
→中華人民共和国、中華民国
・会議に参加しなかった国
→インド、ビルマなど
・会議に出席したが調印しなかった国
→東側陣営:ソ連など
※日本は各国と個別に国交正常化へ
・中華民国:1952年、日華平和条約
・ソ連:1956年、日ソ共同宣言
・インド(1952)、ビルマ(1954)
・中華人民共和国:1972年、日中共同声明(中華民国と断交)
③日米安全保障条約:1951年
・サンフランシスコ平和条約と同日に調印
・「極東の平和と安全」のために日本の独立後も米軍が駐留、日本の防衛に寄与
・アメリカの日本防衛義務の明記なし
④日米行政協定:1952年
・日本はアメリカに基地を提供すること、駐留費用を分担などを取り決め
⑤日本社会党の分裂:1951.10~55.10
ⅰ.左派
・講和条約反対、日米安保条約反対
ⅱ.右派
・講和条約賛成、日米安保条約反対