0.二大政党の政策・傾向
①立憲政友会
・積極外交:田中義一内閣
・積極財政:高橋是清蔵相
②立憲民政党
・協調外交:幣原喜重郎外相
・緊縮財政:井上準之助蔵相
③憲政の常道
・立憲政友会と憲政会(のち立憲民政党)の二大政党の総裁が、交代で内閣を組織する慣例
※病死、テロの場合は交代しない。政治の失敗の場合に交代
・加藤高明内閣~犬養毅内閣まで政党内閣が続いた
I.相次ぐ恐慌
1.第1次若槻礼次郎内閣:1926.1~27.4
※憲政会
①協調外交
・外相:幣原喜重郎
・中国の北伐に対し内政不干渉
②金融恐慌の発生:1927年
ⅰ.背景
・戦後恐慌(1920年)と震災恐慌(1923年)への対応の遅れ
ⅱ.直接の原因
・片岡直温蔵相の失言
※震災手形処理法案の審議中
→取り付け騒ぎの発生、銀行の休業
ⅲ.対応
・台湾銀行を救済しようとする
※経営破綻した鈴木商店に融資していた
・内閣は緊急勅令の発令を求める
⇒枢密院は拒否:協調外交に不満のため
⇒内閣総辞職
③昭和改元:1926年
・大正天皇崩御、昭和天皇即位
※昭和時代:1926~1989年(昭和64年まで)
2.田中義一内閣:1927.4~29.7
※立憲政友会
①金融恐慌の処理
※蔵相高橋是清
ⅰ.緊急勅令
・緊急勅令による3週間のモラトリアム(支払猶予令)の発令
⇒日本銀行から巨額の融資
ⅱ.影響
・財閥資本の形成・金融独占資本の成立
・5大銀行の金融支配確立
※三井・三菱・住友・安田・第一
ⅲ.政党と財閥の癒着
・立憲政友会と三井
・憲政会(立憲民政党)と三菱
II.社会運動の高まりと積極外交への転換
1.社会主義勢力の増大
※普通選挙法の成立が背景
①無産政党の結成
ⅰ.農民労働党
・1925年結成するが、即日禁止
↓
ⅱ.労働農民党
・1926年結成するが、同年に分裂
⇒それぞれ日本労農党と社会民衆党を結成
↓
ⅲ-a.日本労農党
・1926年、分裂した労働農民党の中間派が結成
ⅲ-b.社会民衆党
・労働農民党の右派が結成
・議会主義・国民政党路線
2.田中義一内閣:1927.4~29.7
※立憲政友会
①普通選挙の実施:1928年
・第1回普通選挙の実施:普通選挙法成立後初の選挙
⇒無産政党員8名が当選、共産党の活動が公然化
②弾圧の強化
ⅰ.三・一五事件:1928年
・共産党員の一斉検挙
・労働農民党なども解散
ⅱ.治安維持法の改正:1928年
・最高刑を死刑とし、無期刑も追加
ⅲ.四・一六事件:1929年
・共産党員を再び検挙。共産党に大打撃
③英米との外交
・協調外交を継続
ⅰ.ジュネーヴ会議:1927年
・参加国は米英日
・補助艦の制限について協議
※米英の対立で決裂
ⅱ.(パリ)不戦条約:1928年
・15カ国が調印
・「人民ノ名ニ於テ」という条文が問題化
⇒この部分は天皇主権の日本には適用されないものと宣言して批准
④中国国内の動向
ⅰ.第1次国共合作:1924~27年
・軍閥への対抗のため
・孫文の率いる中国国民党が中国共産党と提携
※孫文の死後は蔣介石が国民党を引き継ぐ
ⅱ.国共分裂:1927年
・蒋介石が南京に国民政府を樹立
⇒国共分裂、国共内戦へ
ⅲ.北伐
・中国統一のための軍事行動
・蔣介石の率いる国民革命軍(北伐軍。中国国民党の軍)による軍閥の制圧
⑤中国との外交:積極外交(強硬外交)
※田中義一首相が外相を兼任
ⅰ.東方会議:1927年
・田中首相(外相)、中国関係の外交官・軍人らが参加
⇒満州における日本の権益を実力で守る方針を決定
ⅱ.山東出兵:1927~28年
・第1次~第3次まで実施
・名目:国民革命軍の北伐からの日本人居留民の保護
・目的:北伐阻止と満州軍閥張作霖の支援
※済南事件…第2次山東出兵中、北伐途中の国民革命軍と日本軍が衝突
ⅲ.張作霖爆殺事件:1928年
・関東軍参謀の河本大作が首謀者
⇒国内には「満州某重大事件」と報道される
※張作霖が国民革命軍に敗北したため、関東軍が満州を直接支配しようと画策
※関東軍…日本の陸軍。南満州鉄道の警備などが任務
ⅳ.易幟事件
・張作霖の子張学良が、満州全土に国民党の青天白日旗を掲げた
⇒満州を国民政府の支配地と認め、国民政府への帰属を表明
⇒中国国民党による北伐の完了
⑥田中内閣総辞職
・張作霖爆殺事件後、昭和天皇の不興をかい総辞職
3.浜口雄幸内閣:1929.7~31.4
※立憲民政党
①蔵相井上準之助の政策
ⅰ.国際競争力の強化
・緊縮財政による物価の引き下げ
・産業合理化の推進
ⅱ.金輸出解禁(金解禁)の断行:1930年
・旧平価での実施:実質的な円の切り上げ(円高)
※輸出に不利
・結果:アメリカ発の世界恐慌の影響で対米生糸輸出が激減。金の流出
⇒昭和恐慌をまねく
②昭和恐慌
ⅰ.原因
・金解禁による不況 + 世界恐慌の影響
・輸出不振と金(正貨)の流出
ⅱ.状況
・企業の操業短縮・倒産
・産業合理化による賃金引下げ・人員整理
⇒失業者の増大
③農業恐慌
・農産物価格・繭価の暴落による農家の困窮
⇒欠食児童、女子の身売り
④金解禁の結果
ⅰ.社会の混乱
・都市部で労働争議が多発
・農村部で小作争議が多発
ⅱ.政府の対応
・1931年、重要産業統制法を制定
・不況カルテルの結成を容認
※統制経済の先駆けとなる法律
⇒財閥支配の強化が進む
ⅲ.世論
・無策な政党や財閥への不満・批判が高まる
4.協調外交の復活と挫折
・田中義一内閣の後、浜口雄幸内閣・外相幣原喜重郎による協調外交の復活
①対中国外交
・日中関税協定:1930年調印
⇒条件付きで中国に関税自主権を認める
②ロンドン海軍軍縮会議:1930年
・参加国:英米日仏伊
ⅰ.おもな議題
・主力艦建造禁止をさらに5年間延長
・補助艦(巡洋艦・駆逐艦・潜水艦)の保有量の取り決め
ⅱ.ロンドン海軍軍縮条約に調印
・枢密院の同意を得て批准には成功
・補助艦総トン数は対英米7割を認められる
・大型巡洋艦は7割を認められず
※海軍軍令部などの反対を押し切って調印
ⅲ.統帥権干犯問題の発生
・国内で政府に対する激しい非難が起こる
⇒浜口雄幸首相が狙撃され重傷、翌年総辞職(のち死亡)
③三月事件:1931年
・桜会の橋本欣五郎と民間右翼大川周明によるクーデター計画
⇒軍部政権樹立を図るが未遂に終わる