作成者のプロフィール

どうも、博道です。

せっかくなので簡単にプロフィールを書こうと思っていましたが、そこそこ長くなってしまいました。。まあ、私に少しでも興味のある(?)方、発信者の顔が少しでも見えたらいいなと思う方はどうぞ読んでみてください。

私、博道は、生まれも育ちも埼玉県。昭和生まれです。

 

勉強のサイトなので、ここでも勉強のことを中心に書いてみます。

 

◆中学~高校受験

小学校ではほとんど勉強しませんでしたが、単元が終わるたびに行われるテストでは85~100点くらい。5段階評価で4~5は取れていました。図工や家庭科などは3が多かったと思います。

 

中学校ではそれなりに勉強しました。学年が8クラス・310人くらいいて、定期試験の順位は最高で16位、最低で64位だったと記憶しています。埼玉県の人ならご存じの北辰テストでは(公立高校入試に合わせた模試のようなものです)、5教科で偏差値71.5くらい、3教科で70.7が最高でした。学校の定期試験よりも、模試の方ができていましたね。

 

基礎をがっちりかためていたこともあって、高校受験では第一志望の県立の男子校に合格することが出来ました。とはいえ、ギリギリの合格でした。一方で学年1位を取ったこともある同級生が不合格になっていました。そういう事例はよく聞きました。 

ちなみに、多くの人が併願して合格する県内の私立高校には不合格でした。応用的な内容はほとんど対策しなかったし、やっても理解できなかったためです(考えてみると受験した高校は全部男子校でした・・・(゚Д゚))。

 

 

◆高校

高校に入ってからは、勉強をしなくなりました(当時はわかりませんでしたが、自分の性格は怠け者のようです)。勉強しろ勉強しろという学校ではないこともあり、勉強ではほとんど頑張ることはありませんでした。一口に進学校といっても、受験塾のように学校がビシビシやってくれるところもあれば、学校は放任で生徒が自主的に頑張って(浪人して…笑)大学に合格している学校もあります。

 

在学中は、定期試験の直前になって、赤点を取らぬよう、留年しないよう、間に合わせで対策する程度。当然、定着しないですし、試験が終わったら全て抜けていきます 

 

学年は1クラス42人が10クラスで420人。1年生の1学期末試験はクラス順位が41位でした。夏休み明けの実力試験では、学年順位が404番か408番くらいだったと思います。このとき思ったのは、「これじゃダメだ。勉強しなくちゃ…」という反省ではなく、「俺より下がいるのか…!」という驚きでした。 結局、3年間の評定平均は5段階で2.9でした。

 

3年生の夏休みから、ようやく勉強らしい勉強を始めるようになりました。この時、初めて大手予備校の全国模試を受けたのですが、全教科の偏差値は40台になっていました。高校受験時には全県偏差値は70ちょっとあったのですが…。

 

また、このとき気づいたことは、いくら勉強しても翌日には頭にほとんど残っていなかった、ということです。理解力・記憶力が驚くほど低下していました。勉強が苦手な人の気持ちが具体的に想像できるようになりました。「やってもすぐ忘れちゃう→だからやらない。やる気も起きない」なのかな、とか。

 

 

◆浪人

成績が悪いくせに望みだけは高いので、当然のごとく大学は全て不合格で浪人となりました。家から一番近い予備校に通いました。しかし・・・

当時の自分はせいぜい偏差値が50くらいしかないのに、最難関の大学向けの授業を受けるとどうなるか。

 

授業を理解するための基本的な勉強が必要となるので、授業の予習はおろか復習もほとんどやらなくなりました。2学期には出席しない授業も増えていきました。さぼっているつもりはなく、自分の成績を上げるためにベストだと思った選択をしていたつもりでした。

 

また、当時は「こうやれば効率がいい」とか考えることもなく、根性ばかりでひたすら勉強に打ち込んでいました。高校では運動はけっこうさせられたので体力はあったから無理ができたのでしょう。

とはいえ、1週間~1か月くらいやる気が出ないこともありました。ムダ・ムラが多すぎますね。。

 

「試行錯誤しながら独自の勉強メソッドを確立し、成績が急上昇! 一気に志望校突破!」みたいな、ときどき見かける奇跡の逆転劇みたいな話は起こりませんでした。ただただ愚直にやっていました。

(私は奇跡の逆転劇を見ると「すごいなあ。自分とは違うな。自分には無理だ」と思ってしまう側の人間です。)

 

 

当時の自分には、このサイトでススメている、「まずは全体をざっくり学んだ方が絶対に良い」ということなど、まったく思いもつきませんでした

 

本当に成績が上がったのを実感したのは、9月頃です。高3の夏から始めて、1年以上かかってしまいました。9月の受験者の少なめの模試で手ごたえを感じ、成績優秀者として初めて名前が載りました(3教科で偏差値68.6でした)。いわゆるGMARCHくらいの大学なら受かるかな、二浪しなくて済むな、とホッとしたのを覚えています。

 

2度目の大学受験ではGMARCHを2つ(うち1つはセンター利用。不合格…!)、慶應、国立の4つを受けました。 

年が明けて受験。「受かるわけないだろ」という気持ちで臨んだ慶應義塾大学文学部の入試。毎年2月15日に実施されます。10日後には国立大学の試験があるので、「休んで家で勉強していたい」とすら思っていました(GMARCHの大学の1つに受かっていたので、国立がダメならそこに行けばいいやと思っていました)。

 

慶應大学文学部の入試は、英語の試験で辞書が2冊持ち込めます。合法的にカンニングし放題です。ひたすら辞書を引きまくりました。また、国立大学の対策が功を奏したようで、文章記述形式問題が思いのほか解けました。プレッシャーもゼロだったので普段以上の実力が発揮されたのか、「意外といけるかも」という感じがしました。

(ちなみに、12月31日にあった慶應の模試ではD判定でした・・・(゚Д゚))

 

結局、慶應文学部に補欠合格でした。国立には案の定不合格。2勝2敗。ということで、慶應に入ることに。慶應のための勉強はほとんどしていなかったので(結果的に慶應にも役に立つ勉強はしていた、という感じです)、自分の受験勉強は何だったんだろうという気持ちもありました。。

ちなみに早稲田大学には絶対に受からないとわかっていたので、受験はしませんでした。慶應も記念受験のつもりだったので。

 

◆大学

学生の時は学習塾でのアルバイトのほか、本屋においてある受験情報誌(分厚い中学・高校案内の本)の校正を手伝うアルバイトもしていました。

一生懸命に勉強する必要がなくなってしまったので、大学では単位認定試験以外ではほとんど勉強しませんでした。。

 

 

2.就職後

 学校を出てからは、塾を母体とする教育産業の会社に就職しました。日中は塾用テキストの作成・編集をするのがおもな仕事で、時期によってはDVD教材の監修なども担当しました。夕方以降になると、教室に移動して、塾の先生として生徒の指導にあたっていました。

 

 そんな感じで何年か経った頃、学校で教えたい、と思うようになりました。上司に相談し、会社とも話し合った結果、いったん会社を退職して個人事業主となったうえで、引き続きテキストの作成の仕事を請け負いつつ、非常勤講師として学校でも教える、という働き方になりました(教員免許は「なんとなく」の気持ちで大学在学中に取得していました)。

 

 現在は、テキスト作成の契約を終え、私立の中高一貫校にて講師をしています。