織田信長の統一事業
※生没年:1534~82年
・織田氏は尾張の守護代から戦国大名に成長
・信長の父は織田信秀
1.信長の事績
①桶狭間の戦い
・1560年、駿河・遠江・三河を支配した今川義元を破る
②美濃を平定
・1567年、斎藤竜興を追放して稲葉山城を奪う
→岐阜城と改名してここを拠点とする
※この頃から「天下布武」の印判を使用し、武力による天下統一の意思を示す
③上洛
・1568年、足利義昭を奉じて京都に入り、15代将軍に就かせる
④姉川の戦い
・1570年、近江の浅井長政と越前の朝倉義景の連合軍を近江の姉川で破る
⑤室町幕府を滅ぼす
・1573年、15代将軍足利義昭を京都から追放
⑥長篠合戦
・1575年、三河の長篠において、甲斐の武田勝頼を破る
※武田信玄は1573年に死去。勝頼はその息子
※足軽鉄砲隊と馬防柵を用いた戦法で、武田氏の騎馬隊に勝利
※同盟を結んでいた徳川家康との連合軍で戦う
⑦安土城を築城
・1576年、近江の安土(琵琶湖のほとり)に壮大な城を築く
→天下統一のための本拠地とする
⑧天目山の戦い
・1582年、甲斐の武田勝頼を破り、武田氏を滅ぼす
⑨本能寺の変
・1582年、京都の本能寺で家臣の明智光秀の謀叛にあい自害
※中国地方の毛利氏征討を控えて本能寺に滞在していた
2.信長の都市政策
・関所の撤廃:交通の障害となっていたため。自由な通行を認める
・楽市・楽座:安土城下町に楽市令を発し、商工業者に自由な営業活動を認める
・全国随一の経済力をもつ自治都市堺を直轄領とする
3.信長の宗教政策
・キリスト教には好意を示し、積極的に保護
・抵抗する仏教勢力には弾圧
①延暦寺焼打ち:1571年
・浅井・朝倉氏と結んで敵対したため
②一向一揆との対抗
・石山本願寺を頂点とする浄土真宗の寺院や、寺内町を拠点とする一向一揆と対抗
・1574年、伊勢長島の一向一揆(長島一向一揆)を平定
・1575年、越前の一向一揆を平定
・1580年、石山戦争(石山合戦)終結
→争っていた本願寺の顕如(光佐)が屈服し石山を退去
※正親町天皇の仲介
漢字の読み方
・織田信長:おだのぶなが
・織田信秀:おだのぶひで
・桶狭間の戦い:おけはざまのたたかい
・今川義元:いまがわよしもと
・美濃:みの
・斎藤竜興:さいとうたつおき
・稲葉山城:いなばやまじょう
・岐阜城:ぎふじょう
・天下布武:てんかふぶ
・印判:いんばん
※ハンコのこと
・上洛:じょうらく
※京都に入ること
・足利義昭:あしかがよしあき
・奉じて:ほうじて
※足利義昭の警護をして、といった意味。将軍家の一族である足利義昭の警護をするという名目で京都に入ることを正当化した。
・姉川の戦い:あねがわのたたかい
・浅井長政:あざいながまさ
・朝倉義景:あさくらよしかげ
・長篠合戦:ながしのかっせん
・武田勝頼:たけだかつより
・足軽鉄砲隊:あしがるてっぽうたい
・馬防柵:ばぼうさく
・徳川家康:とくがわいえやす
・安土城:あづちじょう
・天目山の戦い:てんもくざんのたたかい
・本能寺の変:ほんのうじのへん
・明智光秀:あけちみつひで
・謀叛:むほん
・毛利氏:もうりし
・楽市・楽座:らくいちらくざ
・楽市令:らくいちれい
・延暦寺焼打ち:えんりゃくじやきうち
・石山本願寺:いしやまほんがんじ
・伊勢長島:いせながしま
・顕如(光佐):けんにょ(こうさ)
・正親町天皇:おおぎまちてんのう