1.足利尊氏の覇権の確立
①建武の新政の崩壊
・1336年、足利尊氏は持明院統の光明天皇を即位させる
※後醍醐天皇(大覚寺統)を幽閉。建武の新政が崩壊
②建武式目の発表:1336年
・中原章賢(是円)らが尊氏の諮問を受けて出した答申。17か条
・幕府の所在地をどこにするか、当面の政治方針などを表明
・これをもって幕府の実質的な成立とされる
※室町幕府の基本法は御成敗式目(貞永式目)。式目追加も継承
・建武以来追加…建武年間以降に付け加えられた法のこと
2.幕府の成立
・1338年、足利尊氏が北朝(光明天皇)より征夷大将軍に任命される
・足利尊氏は弟の足利直義と政務を分担
3.後醍醐天皇(南朝)の抵抗
①後醍醐天皇の京都脱出:1336年
・後醍醐天皇は吉野(奈良県)へ脱出し、足利尊氏(北朝)に抵抗
・南朝(大覚寺統)の正統を主張
②南北朝の動乱へ発展:1336~92年
・北朝と南朝の両立をめぐる全国的内乱
ⅰ.北朝
・京都の朝廷、持明院統
・足利尊氏、室町幕府
ⅱ.南朝
・吉野の朝廷、大覚寺統
・後醍醐天皇
4.北朝の内紛
①観応の擾乱:1350~1352年
・足利尊氏・高師直派と足利直義派の対立
※高師直:尊氏の執事
→1350年、両派が激突(観応の擾乱)
・足利直義敗死で一応の決着
→以後、尊氏派・直義派・南朝勢力の三つ巴の戦いが続く
※直義派は足利直冬(尊氏の子で直義の養子)が後を継ぐ
5.惣領制の解体
※南北朝の争乱の長期化の一因
・単独相続の一般化:庶子は嫡子に従属するようになった
・内部分裂と対立。血縁的結合から地縁的結合の重視へ
6.南北朝のおもな人物
①南朝(後醍醐天皇側)
ⅰ.護良親王
・後醍醐天皇の皇子。建武新政府の征夷大将軍に就任
→1335年、中先代の乱で足利直義に暗殺される
ⅱ.北畠親房
・南朝の中心人物として活躍
・『神皇正統記』『職原抄』を著す
ⅲ.新田義貞
・1338年敗死(越前国藤島にて)
ⅳ.楠木正成
・1336年敗死(湊川の戦い)
②北朝(足利尊氏側)
ⅰ.高師直
・尊氏の執事。1351年死亡
ⅱ.足利直義
・尊氏の弟。1352年死亡
7.九州地方の状況
①南朝の勢力拡大
・征西大将軍懐良親王(後醍醐天皇の皇子)の勢力拡大
・菊池氏の支援を受け、大宰府を占領
→一時九州全体を制圧
※独立国のような状態になった
②室町幕府による回復
・足利義満が九州探題今川了俊(今川貞世)を派遣し平定へ
8.守護大名と国人一揆
①守護の権限拡大
ⅰ.大犯三カ条
・鎌倉時代以来の守護の権限
ⅱ.刈田狼藉を取りしまる権限
・刈田狼藉…田地をめぐる紛争の際、稲を一方的に刈り取る実力行使
ⅲ.使節遵行
・幕府の裁判の判決を強制執行する権限
※鎌倉時代の守護と区別して、室町時代の守護は守護大名とも呼ばれる
②半済令
・軍事費用の調達のために守護が荘園や公領の年貢の半分を徴発する権限を認める法令
※守護の権限強化の法令
・1352年に最初の発令。1年限りで、対象は近江・美濃・尾張の3カ国に限る
→やがて永続化、全国化
・守護はこの権限を利用し、国内の荘園・公領を侵略
→守護請:荘園領主は荘園・公領の年貢徴収を守護に請け負わせた
③守護大名の誕生と領国支配
ⅰ.守護領国制
・守護大名による支配体制
→守護大名は一国全体の支配権を確立
ⅱ.国人
・地方在住の有力武士
・守護大名に従わないことも
ⅲ.国人一揆
・守護大名への対抗や、農民支配を確実にするために国人同士が結んだ一揆
漢字の読み方(タップで開きます)
・持明院統:じみょういんとう・光明天皇:こうみょうてんのう
・大覚寺統:だいかくじとう
・建武式目:けんむしきもく
・中原章賢(是円):なかはらのりかた(ぜえん)
・諮問:しもん
・建武以来追加:けんむいらいついか
・足利直義:あしかがただよし
・吉野:よしの
・南北朝の動乱:なんぼくちょうのどうらん
・北朝:ほくちょう
・南朝:なんちょう
・観応の擾乱:かんのうのじょうらん
・高師直:こうのもろなお
・足利直義:あしかがただよし
・足利直冬:あしかがただふゆ
・惣領制:そうりょうせい
・血縁的結合:けつえんてきけつごう
・地縁的結合:ちえんてきけつごう
・護良親王:もりよししんのう
・北畠親房:きたばたけちかふさ
・神皇正統記:じんのうしょうとうき
・新田義貞:にったよしさだ
・藤島:ふじしま
・楠木正成:くすのきまさしげ
・懐良親王:かねよししんのう
・菊池氏:きくちし
・今川了俊(今川貞世):いまがわりょうしゅん(いまがわさだよ)
・大犯三カ条:だいぼんさんかじょう
・刈田狼藉:かりたろうぜき
・使節遵行:しせつじゅんぎょう
・守護大名:しゅごだいみょう
・半済令:はんぜいれい
・守護請:しゅごうけ
・守護領国制:しゅごりょうごくせい
・国人:こくじん
・国人一揆:こくじんいっき