明治維新、藩閥政府

ポイント解説

1.戊辰戦争鳥羽・伏見の戦いに始まり、五稜郭の戦いで終わった。

2.新政府は五箇条の誓文で基本方針を示し、庶民に向けては五榜の掲示を示し、政治体制は政体書で整備した。

3.版籍奉還の後、廃藩置県で中央集権国家を完成させた。

4.中央政府は薩摩・長州・土佐・肥前の4藩(と一部の公家)からなる藩閥政府で、批判の対象となった。


1.戊辰戦争1868~69年

・新政府軍と旧幕府軍の戦い

鳥羽・伏見の戦いに始まり、五稜郭の戦いで終わった

 

※新政府の財源

→京都の三井小野組、大坂の鴻池などの商人からの御用金300万両

 不換紙幣の発行:太政官札民部省札

 

鳥羽・伏見の戦い

・1868年1月、京都

→新政府軍が勝利

※徳川慶喜は江戸に逃れる

 

偽官軍事件:倒幕に参加した相楽総三率いる赤報隊が東山道を東進

 →年貢半減を掲げ農民の支持を得たが、新政府は偽官軍として処刑

 

②江戸無血開城:1868年4月

・東征軍参謀の西郷隆盛と、幕府側の勝海舟の会談で正式に決定

彰義隊の抵抗:官軍に抵抗したが1日で敗退

 

奥羽越列藩同盟

・東北諸藩が結成。旧幕府側で参戦

会津藩白虎隊など

会津若松城を攻め落とされる

 

五稜郭の戦い(箱館戦争)

・1869年5月、箱館五稜郭で最後まで抵抗を続けていた榎本武揚が降伏

→新政府による国内統一が達成される

 

2.新政府の発足

※戊辰戦争中も新政府の整備を進める

五箇条の誓文の公布:1868年3月14日

・起草由利公正→修正福岡孝弟→加筆木戸孝允

※「列侯会議ヲ興シ」→「広ク会議ヲ興シ」に変更

・天皇が神に誓う形式で、新政府の国策の基本を示す

・公議世論の尊重、開国和親

 

五榜の掲示:1868年3月15日

・五種の高札で民衆の心得を示す

 ※庶民に向けたもの

・旧幕府の対民衆政策を継承

・五倫道徳(儒教道徳)の遵守、徒党・強訴・逃散の禁止など

キリスト教の禁止

 →浦上教徒弾圧事件で列国の抗議を受け、1873年に撤廃

 

政体書の制定:1868年閏4月

・政府の組織を整備

・七官を設置

・開明的で欧米流の近代政治の体裁を整えた

 

ⅰ.中央

三権分立アメリカ合衆国憲法を模倣

a.立法機関

議政官(立法官):上局・下局を組織

 上局議定参与で構成

 下局:各府県・各藩選出の貢士で構成

 ※下局の改称:公議所集議院

 

b.行政機関

・行政官:1869年に太政官と改称

 ※太政官に権力が集中。各官を統轄

神祇官 

・会計官 

・軍務官 

・外国官 

・民部官:1869年に設置。八官となる

 

c.司法機関

・刑法官

 

ⅱ.地方

府藩県三治制

は政府直轄地

:没収した旧幕府領の要地。東京・大坂・京都など

:それ以外の旧幕府領

:諸藩は旧来通り大名(各藩主)が統治。江戸時代と変わらず

 

④改元・遷都

・1868年7月、江戸を東京と改める

・1868年9月、元号を明治に改元

一世一元の制を採用:天皇一代の間は1つの元号とする

・1869年、京都から東京に首都を移す(明治天皇の行幸)

 

3.政治的統一の実現

版籍奉還:1869年

ⅰ.内容

・各藩主が朝廷に領地(図)と領民(戸)を返上

 ※大政奉還では徳川氏のみが返上。他の藩主は江戸時代のままだった

 

ⅱ.結果

・旧大名は、旧領地の知藩事に任命され、地方長官として藩政にあたった

※大名が知藩事にかわっただけで、江戸時代とやっていることは同じ

 政府の直轄地以外は幕藩体制と同じ間接統治(江戸時代と変わらず)

→次の廃藩置県で大改革へ

 

廃藩置県:1871年

ⅰ.事前準備

薩摩・長州・土佐から1万人の御親兵をつのり、軍事力を固める

 

ⅱ.実行・結果

・7月、一挙に断行

・すべての藩を廃止。府県となる:1使3府302県

→同年末:1使3府72県→1888年:1道3府43県

 ※使開拓使東京・大阪・京都

知藩事(旧大名)を罷免し、東京居住を命じる

・中央政府から任命・派遣された府知事県令が地方行政を担当

 

ⅲ.意義

・国内の政治的統一が完成

・藩制度の全廃

・政府が全国を直轄地化

・廃藩置県の成功は今後の日本にとって非常に明るいできごとであった

 

補.中央官制の変遷

①三職

・総裁・議定・参与

・1867年、王政復古の大号令の後、臨時政府として設置

 

②太政官制:1868年~1885年

・政体書により設置

・太政官制はさらに3つの形態

 

ⅰ.七官制

・1868年、政体書にもとづく

・欧米にならい開明的 

※上の2③で登場

 

ⅱ.二官六省制

・1869年、版籍奉還後

・大宝令にもとづき復古的。祭政一致

・二官:神祇官太政官

 ※神祇官の方が上位

太政官の下に六省:民部省、大蔵省、兵部省、刑部省、宮内省、外務省。さらに大学校、開拓使も

※1870年、刑部省は司法省と改称

 1870年、工部省設置

 1871年、文部省設置

 

ⅲ.三院制

・1871年、廃藩置県後

太政官を正院・左院・右院の三院制とする 

神祇官を廃止神祇省に格下げ

 →さらに1872年、教部省

民部省の廃止

正院:太政官の最高機関

左院立法の諮問機関

 →1875年に廃止して元老院を設置

右院:行政上の諮問機関

開拓使は1882年廃止

・1873年、内務省設置

・1875年、大審院設置

・1881年、農商務省設置

 

内閣制度

・1885年~現在

 

4.藩閥政府の形成

①新政府の要職独占

薩長土肥4藩(特に薩長)出身者が参議、各省の卿・大輔などに就任

 →有司専制との批判を招く

 

②4藩・公家出身の有力者

ⅰ.薩摩藩

西郷隆盛大久保利通黒田清隆

 

ⅱ.長州藩

木戸孝允伊藤博文井上馨山県有朋

 

ⅲ.土佐藩

板垣退助後藤象二郎佐々木高行

 

ⅳ.肥前藩

大隈重信江藤新平大木高任副島種臣

 

ⅴ.公家

三条実美岩倉具視


漢字の読み方

戊辰戦争:ぼしんせんそう

鳥羽・伏見:とば・ふしみ

・五稜郭:ごりょうかく

 ※稜は のぎへん

鴻池:こうのいけ

・御用金:ごようきん

不換紙幣:ふかんしへい

・太政官札:だじょうかんさつ

・民部省札:みんぶしょうさつ

偽官軍:にせかんぐん

相楽総三:さがらそうぞう

・赤報隊:せきほうたい

彰義隊:しょうぎたい

奥羽越列藩同盟:おううえつれっぱんどうめい

白虎隊:びゃっこたい

榎本武揚:えのもとたけあき

五箇条の誓文:ごかじょうのせいもん

由利公正:ゆりきみまさ

・福岡孝弟:ふくおかたかちか

木戸孝允:きどたかよし

五榜の掲示:ごぼうのけいじ

 ※榜は きへん

浦上教徒弾圧事件:うらかみきょうとだんあつじけん

 ※浦上信徒~でもOK

政体書:せいたいしょ

七官:しちかん

議政官:ぎせいかん

・立法官:りっぽうかん

上局:じょうきょく

・議定:ぎじょう

・参与:さんよ

下局:かきょく

・貢士:こうし

 ※議員のこと

・公議所:こうぎしょ

・集議院:しゅうぎいん

行政官:ぎょうせいかん

太政官:だじょうかん

神祇官:じんぎかん

・会計官:かいけいかん

・軍務官:ぐんむかん

・外国官:がいこくかん

・民部官:みんぶかん

刑法官:けいほうかん

一世一元の制:いっせいいちげんのせい

 

版籍奉還:はんせきほうかん

知藩事:ちはんじ

廃藩置県:はいはんちけん

御親兵:ごしんぺい

府知事:ふちじ

県令:けんれい

 ※今でいう県知事

民部省:みんぶしょう

・大蔵省:おおくらしょう

・兵部省:ひょうぶしょう

・刑部省:ぎょうぶしょう

・宮内省:くないしょう

・外務省:がいむしょう

司法省:しほうしょう

工部省:こうぶしょう

文部省:もんぶしょう

神祇省:じんぎしょう

教部省:きょうぶしょう

正院:せいいん

左院:さいん

元老院:げんろういん

右院:ういん

内務省:ないむしょう

大審院:だいしんいん

・農商務省:のうしょうむしょう 

・薩長土肥:さっちょうとひ

・卿:きょう

 ※長官。今でいう大臣

・大輔:たいふ

 ※次官。2番目に偉い

黒田清隆:くろだきよたか

井上馨:いのうえかおる

山県有朋:やまがたありとも

後藤象二郎:ごとうしょうじろう

・佐々木高行:ささきたかゆき

大隈重信:おおくましげのぶ

江藤新平:えとうしんぺい

・大木高任:おおきたかとう

・副島種臣:そえじまたねおみ

三条実美:さんじょうさねとみ

岩倉具視:いわくらともみ