大まかな流れ
・源氏の将軍が3代でとだえる
⇒北条氏が台頭(北条時政、北条義時)
⇒後鳥羽上皇が承久の乱を起こすが幕府が勝つ
⇒執権政治:北条泰時(御成敗式目制定)、北条時頼
1.北条氏の台頭
①将軍独裁の終わり
・1199年、源頼朝が死亡
→子の源頼家が2代将軍に就任
※北条政子が補佐(頼家の母、頼朝の妻)
②北条氏による有力御家人の排斥
ⅰ.北条時政(初代執権)
・1200年、梶原景時を討つ
・1203年、比企能員の乱:比企能員を討つ
・1203年、源頼家を伊豆の修禅寺に幽閉
⇒源実朝を3代将軍につかせる
※翌年、源頼家暗殺される
ⅱ.北条義時(2代目執権、時政の子)
・1205年、畠山重忠を討つ
・1213年、和田合戦:和田義盛を滅ぼす
⇒北条義時が侍所と政所の別当を兼ねる
※執権の地位もこのころ確立
2.承久の乱
①源氏の正統断絶
・1219年、源実朝が公暁(頼家の子)に暗殺される
※源氏の正統が3代で断絶
②藤原将軍(摂家将軍)
・藤原頼経(頼朝の遠い親戚)を摂関家から迎える
⇒その後、4代将軍に就任
③承久の乱:1221年
ⅰ.朝廷側の動き
・後鳥羽上皇が北条義時(2代執権)追討の挙兵
※後鳥羽上皇は西面の武士を設置するなど軍事力を増強していた
ⅱ.幕府側の動き
・北条義時:弟の北条時房、子の北条泰時を派遣して応戦
・北条政子:頼朝の御恩などを説き、御家人が団結して戦う
③承久の乱の結果と戦後処理
※幕府側の勝利
ⅰ.3上皇の配流
・後鳥羽上皇:隠岐へ
・土御門上皇:土佐、のち阿波へ
・順徳上皇:佐渡へ
ⅱ.天皇
・仲恭天皇廃位、御堀河天皇即位
ⅲ.六波羅探題の設置
・朝廷の監視、西国の統轄などを任務
ⅳ.新補地頭の設置
・上皇側の所領約3000か所を没収
⇒東国の御家人を地頭に任命(新補地頭)
※大部分が西国に分布していたので、幕府の勢力が全国に拡大した
※本補地頭:それまでの地頭。新補地頭に対する語
ⅴ.新補率法
新補地頭の給与の基準のこと。以下の通り
・管理地の田畑11町につき1町の免田(給田)
※免田:荘園領主への年貢が免除になり、地頭の収入になる
・田地1段につき5升の加徴米
・山や川からの収益の半分
ⅵ.朝幕関係の変化
・幕府が優位となり、朝廷の政治や皇位継承に干渉するようになった
3.執権政治の確立
①北条泰時(3代執権)の政治:在職1224~42年
ⅰ.幕府機構の強化
・1225年、連署の設置
→叔父の北条時房を任命
※執権の補佐役
・1225年、評定衆の設置
→有力御家人11名。重要政務を合議制で審議
ⅱ.摂家将軍の擁立
・1226年、4代将軍藤原頼経(九条頼経)を将軍に就任させる
※摂家将軍は4・5代の2人
ⅲ.御成敗式目(貞永式目)の制定
・1232年制定
・全51カ条。
・平易な仮名交じり文で構成(無学の武士にもわかるように)
・目的:公正な裁判を行うため
・意義:武家の最初の体系的な法典
・基本理念:頼朝以来の先例と、道理とよばれた武士社会の慣習・道徳
※幕府権力の及ぶ範囲内で施行
・朝廷の支配下では公家法、荘園領主の下では本所法が従来通り適用
※北条泰時書状
・御成敗式目制定に際し、弟の北条重時(六波羅探題)にあてた文書
※式目追加
・御成敗式目とは別に、必要に応じて発布された個別の法令
②北条時頼(5代執権)の政治:在職1246~56年
※泰時の孫
ⅰ.宝治合戦:1247年
・有力御家人で評定衆の三浦泰村とその一族を滅ぼす
ⅱ.引付の設置:1249年
※引付は訴訟審理機関
→引付衆が任命され、評定衆を補佐
・所領に関する訴訟を担当
・迅速で公平な裁判の確立に努める
ⅲ.皇族将軍
・1252年、宗尊親王を6代将軍に擁立
※後嵯峨上皇の皇子
※皇族将軍は9代将軍まで続く
ⅳ.寺院の建立
・鎌倉に建長寺を創建
・開山は南宋の禅僧蘭溪道隆
漢字の読み方(タップで開きます)
・源頼家:みなもとのよりいえ・北条政子:ほうじょうまさこ
・北条時政:ほうじょうときまさ
・梶原景時:かじわらかげとき
・比企能員:ひきよしかず
・修禅寺:しゅぜんじ
・源実朝:みなもとのさねとも
・北条義時:ほうじょうよしとき
・畠山重忠:はたけやましげただ
・和田合戦:わだかっせん
・和田義盛:わだよしもり
・侍所:さむらいどころ
・政所:まんどころ
・別当:べっとう
・承久の乱:じょうきゅうのらん
・公暁:くぎょう
・藤原将軍(摂家将軍):ふじわらしょうぐん(せっけしょうぐん)
・藤原頼経:ふじわらのよりつね
・後鳥羽上皇:ごとばじょうこう
・西面の武士:さいめんのぶし
・北条時房:ほうじょうときふさ
・北条泰時:ほうじょうやすとき
・隠岐:おき
・土御門上皇:つちみかどじょうこう
・土佐:とさ
・阿波:あわ
・順徳上皇:じゅんとくじょうこう
・佐渡:さど
・仲恭天皇:ちゅうきょうてんのう
・御堀河天皇:ごほりかわてんのう
・六波羅探題:ろくはらたんだい
・西国:さいごく
・新補地頭:しんぽじとう
・本補地頭:ほんぽじとう
・新補率法:しんぽりっぽう
・田畑:でんぱた
・11町:じゅういっちょう
・免田:めんでん
・給田:きゅうでん
・1段:いったん
・5升:ごしょう
・加徴米:かちょうまい
・連署:れんしょ
・評定衆:ひょうじょうしゅう
・九条頼経:くじょうよりつね
・御成敗式目:ごせいばいしきもく
・貞永式目:じょうえいしきもく
・先例:せんれい
・道理:どうり
・公家法:くげほう
・本所法:ほんじょほう
・北条泰時書状:ほうじょうやすときしょじょう
・北条重時:ほうじょうしげとき
・式目追加:しきもくついか
・北条時頼:ほうじょうときより
・宝治合戦:ほうじかっせん
・三浦泰村:みうらやすむら
・引付:ひきつけ
・引付衆:ひきつけしゅう
・皇族将軍:こうぞくしょうぐん
・宗尊親王:むねたかしんのう
・後嵯峨上皇:ごさがじょうこう
・建長寺:けんちょうじ
・開山:かいざん
※寺院を管理する初代の僧侶
・南宋:なんそう
・禅僧:ぜんそう
・蘭溪道隆:らんけいどうりゅう