江戸時代初期の対外関係

1.ヨーロッパ諸国との外交

①オランダとイギリス

※いずれもプロテスタントの国

 

ⅰ.オランダ船リーフデ号の漂着

・1600年、豊後の臼杵湾に漂着

※乗組員

オランダ人航海士ヤン・ヨーステン耶揚子

イギリス人の水先案内人ウィリアム・アダムズ三浦按針

→江戸に招かれ、徳川家康の外交・貿易顧問となる

 

・オランダ・イギリスとも自由貿易の許可を幕府から受ける

 →肥前の平戸に商館を開く

 

紅毛人:新教(プロテスタント)のオランダ人イギリス人に対する呼称

南蛮人:旧教(カトリック)のスペイン人ポルトガル人

 

スペイン

・幕府と仙台藩がそれぞれ通商を模索(いずれも失敗)

サン・フェリペ号事件(秀吉の時代)以降、スペインとの関係は途絶していた

 

ⅰ.幕府の動き

・1610年、家康が京都の商人田中勝介をスペイン領メキシコに派遣

※前年上総に漂着したルソンの前総督ドン・ロドリゴを送り届ける名目

 

ⅱ.仙台藩の動き

・1613年、慶長遣欧使節

 …仙台藩主伊達政宗支倉常長をスペインに派遣

 

ポルトガル

・1604年、糸割符制度の導入

 …幕府が長崎京都の商人に糸割符仲間を結成させ、生糸を一括購入させた

 →のち大坂江戸の商人も糸割符仲間に加わり、五カ所商人とよばれる

※ポルトガル商人の利益を排除するため(白糸(中国産の生糸)を長崎で販売し巨額の利益を得ていた)

 

2.東南アジアとの外交

朱印船貿易

朱印状(幕府発行の海外渡航許可証)をもった朱印船が東南アジア各地に進出

 →移住した人々により日本町がつくられる

 

ⅰ.朱印船を出した人々

・大名:島津家久有馬晴信

・商人:長崎の末次平蔵、摂津の末吉孫左衛門京都の角倉了以茶屋四郎次郎

 

山田長政…日本町の長の1人。タイのアユタヤ朝に重く用いられ、リゴール(六昆)の太守になるが、毒殺される

 

ⅱ.おもな貿易品

・輸入:生糸、絹織物、砂糖など

・輸出:・銅など

 ※日本の銀の輸出額は世界の銀産出額の3分の1に及んだ

 

3.鎖国政策

鎖国とは…キリスト教を禁止し、幕府が貿易の利益と海外情報を独占している状態

・鎖国という用語は、ドイツ人医師ケンペルの『日本誌』を、長崎通詞の志筑忠雄が『鎖国論』と翻訳したことで定着

 

①経緯

・1600年、オランダ船リーフデ号豊後に漂着

・1604年、糸割符制度の導入

・1609年、オランダ人に通商を許可

・1612年、禁教令:直轄領に発令

・1613年、禁教令を全国に及ぼす

・1613年、イギリス人に通商を許可

・1614年、高山右近をマニラに追放。その他の宣教師もマニラやマカオへ追放

・1622年、元和の大殉教:長崎で宣教師・信徒55名を処刑

・1623年、イギリスが平戸商館を閉鎖して退去(オランダとの競争に敗れる)

・1624年、スペイン船の来航を禁止

 

②鎖国令

ⅰ.寛永十年令:1633年

奉書船以外の日本船の海外渡航を禁止

 ※奉書老中が発行した許可証(老中奉書)のこと

 

ⅱ.寛永十二年令1635年

日本人の海外渡航および在外日本人の帰国を禁止

 →東南アジアの日本町の衰退

 

※1637年、島原の乱がおこる

 

ⅲ.寛永十六年令:1639年

ポルトガル船の来航を禁止

 

③鎖国の完成

・1641年、オランダ商館平戸から長崎の出島に移し、日本人との交流を禁止

 

鎖国政策の理由

・キリスト教の布教がスペイン・ポルトガルによる日本侵略につながることをおそれたため

・信徒が団結して一揆をおこすことを危惧したため

・西国大名が貿易で利益をあげ、経済力をつけるのを抑えるため

 

⑤鎖国下の長崎貿易

ⅰ.オランダ

キリスト教の布教はせず、貿易による利益のみを求めた

 ※出島に収容され、日本人との自由な交流は禁止

オランダ商館長カピタン)がオランダ風説書を幕府に提出

 →幕府は海外の情報を独占的に得る

 

ⅱ.中国

・幕府は明との国交回復に失敗。長崎で私貿易のみ継続

・明の滅亡後はと貿易

・1685年、貿易額を制限(オランダ船・清船とも)

・1688年、清船の来航を年間70隻に限定

・1689年、清国人の居住地を唐人屋敷に限定 

 

4.朝鮮との外交

①国交回復

・1609年、己酉約条:対馬藩主宗氏が朝鮮と締結

※秀吉の出兵以来途絶えていた国交を家康が回復

雨森芳洲:対馬藩に仕え、朝鮮との外交も担当

 

②貿易

・日本人施設の居留地として朝鮮の釜山に倭館を設置

 

通信使の来日

・朝鮮から新将軍の就任を祝うために来日。計12回

※1~3回の使節は回答兼刷還使として来日:文禄・慶長の役の捕虜の返還を目的

 

5.琉球王国との外交

①琉球征服

・1609年、薩摩藩の島津家久が琉球を征服

 

②琉球からの使節の来日

謝恩使:琉球国王の代替わりごとに来日

慶賀使:幕府の将軍の代替わりごとに来日

 

③二重支配

・琉球王国は尚氏を国王とする独立国として中国に朝貢。薩摩藩の支配も受ける

 

6.蝦夷地:アイヌとの交易

①交易

商場場所にて和人とアイヌが交易

 

②アイヌの蜂起

・和人の不正に対する不満が高まる

・1669年、シャクシャインの戦い

 →松前藩松前氏が鎮圧

 

場所請負制度

・和人商人が商場を請け負って交易

・運上金を上納

 

7.日本の外交秩序

①四口

対馬口朝鮮との外交の窓口

薩摩口琉球王国との外交の窓口

松前口アイヌとの交易の窓口

長崎口オランダとの貿易の窓口

 

②通信国

正式な国交があった国

朝鮮:対馬藩の宗氏が窓口

琉球王国薩摩藩の島津氏が窓口

 

③通商国

国交はなく貿易のみを行っていた国

オランダ:ともに長崎が窓口


漢字の読み方

 

・豊後:ぶんご

・臼杵湾:うすきわん

耶揚子:やようす

三浦按針:みうらあんじん

平戸:ひらど

紅毛人:こうもうじん

・新教:しんきょう

南蛮人:なんばんじん

・旧教:きゅうきょう

田中勝介:たなかしょうすけ

上総:かずさ

慶長遣欧使節:けいちょうけんおうしせつ

支倉常長:はせくらつねなが

糸割符制度:いとわっぷせいど

糸割符仲間:いとわっぷなかま

・生糸:きいと

五カ所商人:ごかしょしょうにん

白糸:しらいと

 

朱印船貿易:しゅいんせんぼうえき

朱印状:しゅいんじょう

日本町:にほんまち

島津家久:しまづいえひさ

・有馬晴信:ありまはるのぶ

末次平蔵:すえつぐへいぞう

・末吉孫左衛門:すえよしまござえもん

角倉了以:すみのくらりょうい

・茶屋四郎次郎:ちゃやしろうじろう

山田長政:やまだながまさ

鎖国:さこく

日本誌:にほんし

・長崎通詞:ながさきつうじ

 ※通訳担当者

志筑忠雄:しづきただお

・鎖国論:さこくろん

禁教令:きんきょうれい

高山右近:たかやまうこん

元和の大殉教:げんなのだいじゅんきょう

 

・寛永十年令:かんえいじゅうねんれい

奉書船:ほうしょせん

出島:でじま

・オランダ商館長:オランダしょうかんちょう

カピタン:甲比丹

オランダ風説書:オランダふうせつがき

:しん

唐人屋敷:とうじんやしき

己酉約条:きゆうやくじょう

・雨森芳洲:あめのもりほうしゅう

通信使:つうしんし

回答兼刷還使:かいとうけんさっかんし

琉球征服:りゅうきゅうせいふく

謝恩使:しゃおんし

慶賀使:けいがし

・商場:あきないば

・場所:ばしょ

松前藩:まつまえはん

松前氏:まつまえし

場所請負制度:ばしょうけおいせいど

 

・四口:よつのくち

・対馬口:つしまくち

・薩摩口:さつまくち

・松前口:まつまえくち

・長崎口:ながさきくち

通信国:つうしんこく

・通商国:つうしょうこく