幕政の安定(4~7代将軍)

文治政治の展開

・4代家綱・5代綱吉・6代家宣・7代家継の時代

武断政治から転換

・儒教に基づいた安定した秩序を求める政治

 

1.4代徳川家綱の時代(在職:1651~80年)

①将軍就任

・1651年、3代徳川家光が死去し、将軍に就任

・会津藩主保科正之らの補佐

 ※家光の異母弟で家綱の叔父

 

由井正雪の乱慶安の変

・1651年、兵学者由井(比)正雪による幕府転覆計画

 ※事前に発覚し自殺

・以後、幕府は牢人の増加を防ぐ政策や、かぶき者の取り締まりを展開

 

末期養子の禁止を緩和

・50歳未満の大名には末期養子を認める

→大名の改易と牢人の増加を防ぐため

末期養子:跡継ぎのいない武家が死ぬ間際に養子をとろうとすること(跡継ぎがいないと家は断絶となるため)

 

④武家諸法度(寛文令)

・1663年に発布

・集まった諸大名に殉死の禁止を命令(口頭で)

→主人の死後は新しい主人に仕えること

※主従関係の変化:「個人と個人」から「家と家」の関係へ

 →下剋上の否定

 

※殉死の禁止は5代綱吉の武家諸法度(天和令)で明文化

 

明暦の大火(振袖家事)

・1657年発生

・江戸の市街地の50%以上が焼失、死者10万人以上

→江戸城や市街の再建費用が幕府財政を圧迫

 

2.諸藩の改革

・安定の時代の到来、寛永の飢饉の発生による改革の必要性

 

①岡山藩主池田光政

郷学閑谷学校の設立

・陽明学者熊沢蕃山藩学花畠教場を設立(最古の私塾)

 

会津藩主保科正之

※徳川家光の異母弟、将軍家綱を補佐

山崎闇斎に朱子学を学ぶ

 

③水戸藩主徳川光圀

・江戸に彰孝館を設立し、『大日本史』の編纂を開始(完成は1906年)

・明から亡命した儒学者朱舜水の教えを受ける

 

④加賀藩主前田綱紀

・朱子学者木下順庵(のち5代綱吉の侍講となる)を招く

 

3.元禄時代

・5代将軍徳川綱吉の政治(在職:1680~1709年)

※4代家綱の弟

 

①天和の治:大老堀田正俊の補佐

ⅰ.武家諸法度天和令の発布:1683年

・従来の「文武弓馬の道、専ら相嗜むべき事」を改訂

 →「文武忠孝を励し、礼儀を正すべき事」となる

・主君に対する忠と孝、礼儀による秩序を重視

 

※1684年、堀田正俊が暗殺される

 

ⅱ.側用人の登用

側用人…将軍の側近として、将軍と老中の間で命令・報告を伝達する職

柳沢吉保を側用人として登用

文治政治を推進

 

②儒教政治(儒教を重視)

※綱吉は木下順庵に学ぶ

林羅山が建てた孔子廟と私塾を湯島に移転

※孔子廟:湯島聖堂

 私塾:聖堂学問所

林鳳岡林信篤林羅山の孫大学頭となり活躍

・寺社造営費用が幕府財政を圧迫した一面も

 

③仏教・神道思想に基づく政治

※戦国の遺風(下剋上の風潮など)を断ち切った

ⅰ.生類憐みの令

・1685年以降、順次発令

をはじめ生き物の殺生や虐待を禁止

・極端な動物愛護令

・庶民は迷惑したが、野犬がいなくなるなどの一面も

 

ⅱ.服忌令

・近親者の死去に際し、忌引の日数などを決める

→死に対する穢れ感が広がる一方、えたに対する差別意識が強化

 

 

④幕府財政の破綻

・要因:明暦の大火後の再建費用、多くの寺社造営、鉱山収入の減少

→対応:慶長小判から元禄小判に改鋳

勘定吟味役荻原重秀(のち勘定奉行に就任)の上申

※金の含有率を減らし、質の劣った小判

  

・結果:改鋳利益(出目)が500万両に及ぶ

※一方で貨幣価値の下落による物価の高騰(インフレ)、庶民生活を圧迫

 

⑤その他のできごと

ⅰ.赤穂事件(1701年)

・江戸城内にて、赤穂藩主浅野長矩が高家の吉良義央を負傷させ、切腹

→翌年、浅野家の遺臣が吉良義央を討ち取り、切腹

 

ⅱ.富士山大噴火(1707年)

・駿河・相模などに大きな被害

 

4.正徳の政治

・儒学者(朱子学者)新井白石による政治

・6代徳川家宣(在職1709~12年)、7代徳川家継(在職1713~16年)の時期

※側用人として間部詮房を登用

 

 

①将軍権威の強化

ⅰ.閑院宮家の創設

朝廷との融和をはかる

 

ⅱ.朝鮮通信使の待遇を簡素化

・国書に記載の将軍の称号を日本国大君殿下から日本国王に変更

※8代徳川吉宗のときに「日本国大君殿下」に戻される

 

③経済政策

ⅰ.正徳小判の鋳造

元禄小判を改め金の含有率を上げた

慶長小判と同率に戻す

・物価騰貴の抑制をはかるが、逆に混乱を招いた

 

ⅱ.海舶互市新例:1715年

・貿易額を制限し、金銀流出に歯止めをかける

清船年間30隻銀6000貫

オランダ船年間2隻銀3000貫 


漢字の読み方

 

文治政治:ぶんちせいじ

・家綱:いえつな

・綱吉:つなよし

・家宣:いえのぶ

・家継:いえつぐ

・武断政治:ぶだんせいじ

保科正之らの補佐

・異母弟:いぼてい

由井正雪の乱:ゆいしょうせつのらん

・慶安の変:けいあんのへん

・牢人:ろうにん

末期養子の禁止を緩和:まつごようしのきんしをかんわ

寛文令:かんぶんれい

殉死:じゅんし

明暦の大火:めいれきのたいか

・振袖家事:ふりそでかじ

・寛永の飢饉:かんえいのききん

池田光政:いけだみつまさ

・郷学:ごうがく

閑谷学校:しずたにがっこう

熊沢蕃山:くまざわばんざん

・藩学:はんがく

花畠教場:はなばたけきょうじょう

山崎闇斎:やまざきあんさい

徳川光圀:とくがわみつくに

・彰孝館:しょうこうかん

大日本史:だいにほんし

朱舜水:しゅしゅんすい

前田綱紀:まえだつなのり

木下順庵:きのしたじゅんあん

 

元禄時代:げんろくじだい

天和の治:てんなのち

堀田正俊:ほったまさとし

天和令:てんなれい

側用人:そばようにん

柳沢吉保:やなぎさわよしやす

孔子廟:こうしびょう

湯島聖堂:ゆしませいどう

・聖堂学問所:せいどうがくもんじょ

林鳳岡:はやしほうこう

林信篤:はやしのぶあつ

生類憐みの令:しょうるいあわれみのれい

服忌令:ぶっきれい

慶長小判:けいちょうこばん

元禄小判:げんろくこばん

勘定吟味役:かんじょうぎんみやく

荻原重秀:おぎわらしげひで

出目:でめ

・赤穂事件:あこうじけん

浅野長矩:あさのながのり

・吉良義央:きらよしなか

正徳の政治:しょうとくのせいじ

新井白石:あらいはくせき

間部詮房:まなべあきふさ

閑院宮家:かんいんのみやけ

・日本国大君殿下:にほんこくたいくんでんか

日本国王:にほんこくおう

正徳小判:しょうとくこばん

海舶互市新例:かいはくごししんれい