Ⅰ.軍部の台頭
1)斎藤実内閣(1932.5~1934.7)
・特徴:挙国一致内閣。満州事変の処理、国際的孤立へ
・日満議定書:満州国を承認
・国際連盟臨時総会:1933年2月、松岡洋右ら日本全権団退場
→3月に国際連盟の脱退を通告(1935年発効)
・塘沽停戦協定(日中軍事停戦協定):1933年5月。満州事変の終息
2)岡田啓介内閣(1934.7~1936.2)
①天皇機関説問題
・1935年、国体明徴声明:岡田内閣は天皇機関説を否認
②二・二六事件
・1936年、陸軍皇道派の青年将校らによるクーデター。首相官邸・警視庁を襲撃
→斎藤実内大臣、高橋是清蔵相らを殺害
・結果:統制派が陸軍内の主導権を確立、皇道派を排除
・岡田内閣総辞職
3)広田弘毅内閣(1936.3~1937.2)
・1936年、軍部大臣現役武官制復活
・帝国国防方針の改定 ※1907年、西園寺①内閣で策定していたもの
→「国策の基準」を策定。北進論・南進論を併記
・1936年、日独防共協定締結:コミンテルンの活動防止、ソ連を仮想敵国
※防共:共産主義を防ぐ、ということ
4)林銑十郎内閣(1937.2~1937.6)
・「軍財抱合」を掲げる
Ⅱ.日中の対立
1)華北分離工作
・関東軍は中国華北の5省を国民政府の支配から切り離して支配を目論む(準満州化)
→冀東防共自治委員会の樹立:1935年、関東軍が樹立した傀儡政権
・1936年、広田弘毅内閣も華北分離を国策と決定
2)西安事件
・1936年、張学良が蔣介石を監禁し、共産党との内戦停止と抗日を要求
→国民政府は共産党討伐(内戦)を中止し、日本に対抗
3)日中全面戦争
①発端:盧溝橋事件
・1937年7月7日、北京郊外の盧溝橋で武力衝突
→日中戦争へ発展:正式な宣戦布告のないまま全面戦争に
②推移
・第2次国共合作…1937年9月、国民党と共産党が再び提携
→抗日民族統一戦線を形成
・1937年12月、日本軍は国民政府の首都南京を占領
・国民政府は南京から漢口、さらに重慶に退いて抗戦
※国民政府(蔣介石政権)は米英から援蔣ルートを通じて支援を受けて抗戦
漢字の読み方(タップで開きます)
1.斎藤実内閣・斎藤実:さいとうまこと
・日満議定書:にちまんぎていしょ
・松岡洋右:まつおかようすけ
・塘沽停戦協定:タンクーていせんきょうてい
2.岡田啓介内閣
・岡田啓介:おかだけいすけ
・国体明徴声明:こくたいめいちょうせいめい
・二・二六事件:にーにーろくじけん
3.広田弘毅内閣
・広田弘毅:ひろたこうき
・北進論:ほくしんろん
・南進論:なんしんろん
・日独防共協定:にちどくぼうきょうきょうてい
4.林銑十郎内閣
・林銑十郎:はやしせんじゅうろう
1.華北分離工作
・華北分離工作:かほくぶんりこうさく
・冀東防共自治委員会:きとうぼうきょうじちいいんかい
2.西安事件
・西安事件:せいあんじけん
3.日中全面戦争
・盧溝橋事件:ろこうきょうじけん
・抗日民族統一戦線:こうにちみんぞくとういつせんせん
・南京:ナンキン
・漢口:かんこう
・重慶:じゅうけい
・援蔣ルート:えんしょうルート