日本史:奈良時代(概略)②

Ⅲ.奈良時代の流れ・続き

4)奈良時代の政争史

藤原不比等

・701年、大宝律令の編纂

・718年、養老律令の編纂

・娘の光明子聖武天皇に嫁がせる

 

長屋王

・729年、長屋王の変:藤原四子により自殺に追い込まれる

 

藤原四子

・不比等の4人の子

武智麻呂南家

房前北家

宇合式家

麻呂京家

・妹の光明子聖武天皇の皇后に立てる

・天然痘により相次いで死去

 

橘諸兄

吉備真備玄昉を登用:遣唐使から帰国

・740年、藤原広嗣の乱:九州で反乱おこる

 →聖武天皇は都を転々:恭仁京難波宮紫香楽宮

 ※国分寺建立の詔大仏造立の詔

 

藤原仲麻呂恵美押勝

・757年、橘奈良麻呂の変がおこる

淳仁天皇即位:恵美押勝の名を与えられる

 

道鏡

孝謙太上天皇の寵愛を受ける

 ※重祚して称徳天皇となる

・764年、恵美押勝の乱がおこる

・769年、宇佐八幡信託事件:和気清麻呂らが道鏡の即位を阻止

・770年、称徳天皇死去、道鏡失脚

 

藤原百川、藤原永手

光仁天皇の即位:天智天皇の孫

 ※天武天皇の系統から変更

 

 

5)長岡京遷都

・784年、桓武天皇が都を移す

 


漢字の読み方

藤原不比等:ふじわらのふひと

養老律令:ようろうりつりょう

光明子:こうみょうし

聖武天皇:しょうむてんのう

長屋王:ながやおう

藤原四子:ふじわらしし

武智麻呂:むちまろ

・南家:なんけ

房前:ふささき

・北家:ほっけ

宇合:うまかい

・式家:しきけ

麻呂:まろ

・京家:きょうけ

・天然痘:てんねんとう

橘諸兄:たちばなのもろえ

吉備真備:きびのまきび

玄昉:げんぼう

藤原広嗣:ふじわらのひろつぐ

・恭仁京:くにきょう

・難波宮:なにわのみや

・紫香楽宮:しがらきのみや

国分寺建立の詔:こくぶんじこんりゅうのみことのり

大仏造立の詔:だいぶつぞうりゅうのみことのり

藤原仲麻呂恵美押勝):ふじわらのなかまろ(えみのおしかつ)

橘奈良麻呂:たちばなのならまろ

淳仁天皇:じゅんにんてんのう

道鏡:どうきょう

孝謙太上天皇:こうけんだいじょうてんのう

称徳天皇:しょうとくてんのう

宇佐八幡信託事件:うさはちまんしんたくじけん

和気清麻呂:わけのきよまろ

藤原百川:ふじわらのももかわ

藤原永手:ふじわらのながて

光仁天皇:こうにんてんのう

 

長岡京:ながおかきょう

桓武天皇:かんむてんのう