歴史7-5 冷戦の緊張緩和、日本の国際社会への復帰(まとめ)

ポイント解説

米ソの対立はキューバ危機で頂点に達しましたが、無事に解決され、緊張緩和の時代を迎えました。日本はソ連との国交回復により国際連合への加盟が実現し(それまでソ連が拒否権を行使し日本の加盟を阻止していた)、国際社会への復帰を果たしました。韓国中国との国交正常化沖縄の日本復帰も実現し、現在に至る日本外交の枠組みができあがりました。


1.冷戦の緊張緩和

キューバ危機:1962年

アメリカソ連の間で核戦争の危機が高まるが、無事に解決

→両国首脳間にホットライン(直通電話)が設けられるなど、緊張緩和が進む

 

ヨーロッパ共同体(EC)

・1967年、西ヨーロッパ諸国が結成

→1970年代、東ヨーロッパ諸国と関係改善

※西ヨーロッパ:資本主義

 東ヨーロッパ:社会主義

 

ベトナム戦争の終結

・1973年、アメリカが撤退 

→1976年、ベトナム社会主義共和国が成立


2.日本の外交、国際社会への復帰

日ソ共同宣言1956年

鳩山一郎内閣のときに調印

ソ連と国交を回復

北方領土問題は解決せず

 平和条約は結ばれず

 

②日本が国際連合に加盟:1956年

・国際社会に復帰を果たした

※国交を回復したソ連が日本の加盟を支持

 

日韓基本条約:1965年

韓国と国交正常化

・韓国政府を朝鮮半島の唯一の政府として承認

 

日中共同声明:1972年

田中角栄内閣のときに調印

中国(中華人民共和国)と国交正常化

 ※中華民国(台湾)とは断交

→1978年、日中平和友好条約に調印

 

沖縄の日本復帰

佐藤栄作内閣がアメリカと交渉

・1972年5月、アメリカから返還が実現

※返還後も多くのアメリカ軍基地が残る

 

非核三原則:1971年

・衆議院で決議

核兵器を「持たず、つくらず、持ちこませず」という原則


漢字の読み方(タップで開きます) ・緊張緩和:きんちょうかんわ
・鳩山一郎:はとやまいちろう
・田中角栄:たなかかくえい
・佐藤栄作:さとうえいさく

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