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歴史7-4 講和条約と55年体制(まとめ)

ポイント解説

戦後の冷戦を背景に、アメリカの日本に対する統治の姿勢が変化しました。アメリカは日本の独立を急ぎ、西側陣営の一員に組み込むことを考えました。日本はサンフランシスコ平和条約で独立を回復し、さらに日米安全保障条約でアメリカと同盟関係になりました。日本国内では自由民主党が誕生し、55年体制が始まりました。


1.占領政策の転換

①背景

冷戦による緊張の高まり

・日本の民主化・非軍事化を方針転換

 

②GHQの新しい方針

・日本の経済復興を重視へ

→財閥解体などは不十分に終わる

※日本を西側陣営の強力な一員にするため

 

③日本経済の復興

・1950年、朝鮮戦争がおこる

特需景気:アメリカ軍が大量の軍需物資を日本で調達したため、日本は好景気となり、経済復興が早まる

 

④再軍備

・1950年、警察予備隊の設置

→1952年、保安隊になる

→1954年、自衛隊になる

 

2.占領の終了

①講和条約

・1951年、サンフランシスコ平和条約

 …吉田茂内閣が48か国との間で調印

→翌年4月に発効し日本は独立を回復

沖縄奄美群島小笠原諸島などは引き続きアメリカの統治下におかれた(のちに返還)

 

インドビルマは講和会議に不参加

ソ連など3か国は出席したが調印を拒否

 

②安保条約

・1951年、日米安全保障条約(日米安保条約)

吉田茂内閣がアメリカとの間で調印

→占領終了後も日本にアメリカ軍基地が残ることに

 

3.日本国内の動き

原水爆禁止運動

・1954年、アメリカの水爆実験により日本の漁船が被ばくした第五福竜丸事件をきっかけに広がる

→1955年、第1回原水爆禁止世界大会広島で開催

 

55年体制の成立

・1955年、自由民主党(自民党)が結成される

→1993年までの38年間、自由民主党(自民党)が与党として政権を担当

※野党第一党は日本社会党

※これを55年体制という

 

日米安全保障条約の改定

・1960年、岸信介内閣が調印

・引き続きアメリカ軍が日本に駐留

・日米どちらかが攻撃を受けた場合、両国が共同で行動をとることなどを規定

安保闘争:条約の改定に対する激しい反対運動が起こった

→新条約の発効後、岸信介内閣総辞職


漢字の読み方

特需景気:とくじゅけいき

警察予備隊:けいさつよびたい

・保安隊:ほあんたい

自衛隊:じえいたい

吉田茂:よしだしげる

奄美群島:あまみぐんとう

第五福竜丸:だいごふくりゅうまる

岸信介:きしのぶすけ

安保闘争:あんぽとうそう