I.太平洋戦争の始まり
1.第2次近衛文麿内閣:1940.7~41.7
※外相:松岡洋右
①日ソ中立条約:1941.4
・北方の安全を確保し、南進政策を進めるため
※有効期間5年
②日米交渉:1941.4~11
・駐米大使野村吉三郎、アメリカ国務長官ハルとの間で行われる
※東条英機内閣のときにハル=ノートを提示され決裂
③対ソ政策の変化
ⅰ.独ソ戦争:1941.6開戦
・ドイツが不可侵条約を破ってソ連に侵攻
・米英はソ連を支援
ⅱ.御前会議:1941.7.2
・南方進出を決定:対米英戦を覚悟
・北進:情勢有利の場合、対ソ戦も視野
ⅲ.関東軍特種演習(関特演):1941.7
・対ソ戦を想定し満州に70万人動員
※南進の決定を受け、8月に対ソ戦計画中止
2.第3次近衛文麿内閣:1941.7~10
※対米強硬派の外相【松岡洋右】を除外して再組閣
①南部仏印進駐:1941.7
・石油・ゴムなどの戦略物資調達のために進駐
ⅰ.アメリカの制裁
・在米日本資産を凍結
・対日石油輸出を禁止
ⅱ.ABCD包囲陣
・軍部がアメリカ・イギリス・中国・オランダによる対日経済包囲網の打破を訴える
②御前会議:1941.9.6
帝国国策遂行要領の決定
・10月上旬を日米交渉の期限とし、交渉失敗の場合は対英米蘭開戦
③総辞職
・対米交渉の継続を主張する近衛文麿首相と、交渉打ち切りを主張する東条英機陸相の対立
3.東条英機内閣:1941.10~44.7
※陸軍大将
①組閣
・内大臣木戸幸一の推挙
※最後の元老西園寺公望が1940年11月に死去
・組閣条件:9月6日の決定事項の再検討、対米交渉の継続
②ハル=ノート:1941.11
ⅰ.内容
・満州事変以前の状態への復帰を求める
・中国・仏印からの撤退、日独伊三国同盟の廃棄、満州国・汪兆銘政権の否認など
※アメリカからの事実上の最後通告
ⅱ.御前会議:1941.12.1
・対米交渉を不成功と判断
・対米英開戦を決定
※「英米の脅威に対する自衛措置」
ⅲ.真珠湾攻撃:1941.12.8
・ハワイの真珠湾を奇襲攻撃
・英領マレー半島に上陸し、シンガポールを占領
・米英に宣戦布告、太平洋戦争の開始
※大東亜戦争
・当時、支那事変(日中戦争)も含めた呼称
・緒戦は日本の優勢:アメリカは対ドイツ戦を優先していたため
4.戦局の展開
①第二次世界大戦の二大陣営
ⅰ.連合国
・アメリカ、イギリス、フランス、ソ連、中国など
ⅱ.枢軸国
・日本、ドイツ、イタリアなど
②大東亜共栄圏の建設
・日本が掲げたスローガン
・欧米帝国主義からアジアを解放し、アジアの民族で共存共栄することを提唱
③翼賛選挙:1942年4月
・東条英機内閣が5年ぶりに総選挙を実施
・推薦候補が多数当選
⇒翼賛政治会の結成:挙国一致的政治結社
※非推薦候補:尾崎行雄、片山哲、芦田均、鳩山一郎ら
※形式的ではあるが憲法や議会は停止せず
④ミッドウェー海戦:1942.6
・日本が敗北。戦局が悪化へ
⑤御前会議:1943.9.30
・絶対国防圏まで防衛ラインを後退
⑥大東亜会議:1943.11
・東京で開催。大東亜共栄圏の結束を誇示
・参加者:南京の汪兆銘政権、タイ、ビルマ、自由インド、フィリピンなどの代表者
⑦大東亜共栄圏の実態と反発
・戦略物資の確保・調達を最優先
ⅰ.日本軍による徴発・動員
・東南アジアで軍政施行
・泰緬鉄道(タイ~ビルマ)の建設
・土木作業、鉱山労働など
ⅱ.華僑の殺害
・反日活動を興した華僑(中国系住民)を殺害
・シンガポール・マレーシアなど
ⅲ.抗日運動
・仏印・フィリピンなど各地で展開
⑧中国戦線
ⅰ.三光作戦
・抗日ゲリラに対する日本軍の大掃討作戦
※中国側の呼称
ⅱ.731部隊
・満州のハルビンにおかれた細菌戦研究の特殊部隊
・石井四郎中将が率いた
⑨絶対国防圏の崩壊
ⅰ.サイパン島陥落:1944.7
・責任を取り東条英機内閣総辞職
ⅱ.本土空襲の本格化
・B29爆撃機による
※日本本土(東京周辺)に対する最初の空襲は1942年4月
⑩小磯国昭内閣:1944.7~45.4
※陸軍大将
・海軍大将米内光政が協力する陸海軍の連立内閣
II.国民生活の崩壊と敗戦
1.国民生活の崩壊
①【学徒出陣】:1943.9
・文科系学生の徴兵猶予を停止し軍に徴集
②植民地の徴兵制
・1938年、志願兵制度の導入
・徴兵制の施行:朝鮮(1943)、台湾(1944)
③食料・日用品の不足
ⅰ.物資の不足
・総合切符制だが物がない
ⅱ.代用品の増加
・米の配給にいも・小麦粉を使用
④勤労動員
・学生・生徒・女性を徴用し、軍需産業に動員
・男性の徴兵による労働力不足を補うため
※女子挺身隊
・14~25歳の未婚の女性が動員された組織
・工場などへ動員
⑤学童疎開:1944.7頃~
・空襲を避けるため、児童を地方に移住
2.小磯国昭内閣:1944.7~45.4
※陸軍大将
①レイテ島海戦(比島沖海戦):1944.10
・アメリカがフィリピンを奪回
・日本は連合艦隊の主力を失う
※神風特別攻撃隊(特攻隊)による体当たり攻撃が初めて行われる
②東京大空襲:1945.3.10
・約300機のB29爆撃機が下町などに焼夷弾を投下
・一夜で約10万人が死亡
③硫黄島の戦い:1945.3
・日本軍守備隊約2万人が玉砕
④米軍の沖縄上陸:1945.4
・アメリカ軍が沖縄本島に上陸:1945年4月
⇒直後に小磯国昭内閣退陣
3.ヨーロッパの終戦と連合国の対日政策
①イタリアの降伏:1943.9
②カイロ会談:1943.11
ⅰ.参加国
・アメリカ:フランクリン・ローズヴェルト
・イギリス:チャーチル
・中国:蔣介石
ⅱ.カイロ宣言
・日本との徹底抗戦
・日本の領土の画定:満州・台湾・澎湖諸島の中国への返還、朝鮮の独立など
③ヤルタ会談:1945.2
ⅰ.参加国
・アメリカ:フランクリン・ローズヴェルト
・イギリス:チャーチル
・ソ連:スターリン
ⅱ.ヤルタ秘密協定
・ドイツの戦後処理について
・ドイツ降伏後、ソ連の対日参戦を密約
・千島列島・南樺太をソ連領とする
※1945年4月、ソ連は日ソ中立条約の非延長を日本に通告
④ドイツの降伏:1945年5月
・直前にヒトラーが自殺
4.鈴木貫太郎内閣:1945.4~8
※海軍大将
①沖縄戦
・約10万人の県民が犠牲となる
ⅰ.鉄血勤皇隊
・沖縄の男子中等学校の生徒が実戦に参加
ⅱ.女子学徒隊
・沖縄の女子中等学校の生徒が看護要員などに動員
※その1つがひめゆり隊
②ポツダム会談:1945.7
・ベルリン郊外にて開催
ⅰ.参加国
・アメリカ:トルーマン
・イギリス:チャーチル ⇒ アトリー
・ソ連:スターリン
ⅱ.ポツダム宣言
・アメリカ・イギリス・中国の共同宣言
・日本への無条件降伏勧告、戦後処理方針など
※日ソ中立条約を結んでいるため、中国の名で宣言
⇒日本は当初これを黙殺
③終戦:1945(昭和20)年
ⅰ.日本の孤立
・枢軸国で日本のみが戦争を継続
※軍部は本土決戦を主張
・ソ連に和平交渉の仲介依頼を模索
※ソ連はヤルタ秘密協定で対日参戦を決定
ⅱ.原爆投下
・アメリカが原子爆弾を投下
・8月6日、広島
・8月9日、長崎
ⅲ.ソ連の対日参戦:8月8日
・ヤルタ秘密協定にもとづく
・日ソ中立条約を破棄し、朝鮮・満州に侵攻
ⅳ.御前会議:8月9日
・10日未明、昭和天皇の聖断によりポツダム宣言の受諾を決定
⇒8月10日、連合国(米英ソ中の4カ国)に通告
ⅴ.御前会議:8月14日
・無条件降伏を最終決定
ⅵ.終戦の詔勅:8月15日
・昭和天皇の玉音放送により国民に終戦を知らせる
ⅶ.降伏文書調印:9月2日
・アメリカ軍艦ミズーリ号上にて降伏文書に署名
・政府代表重光葵外相、軍部代表梅津美治郎参謀総長
④シベリア抑留
・第二次世界大戦後、約57万人の日本軍人がシベリア収容所に強制連行され、強制労働に従事
※約6万人が死亡