1.明治初期の対外関係
①岩倉使節団の派遣:1871~73年
ⅰ.目的
・条約改正の予備交渉
・対米交渉に失敗
⇒欧米の制度・文物の視察に切り替え
ⅱ.派遣された人物
・大使:右大臣【岩倉具視】
・副使:参議木戸孝允、大久保利通、伊藤博文、山口尚芳
・女子留学生:津田梅子、山川捨松ら
※留守政府:太政大臣三条実美、参議西郷隆盛、大隈重信、板垣退助ら
ⅲ.見聞記録
・久米邦武の『米欧回覧実記』
②中国(清)との関係
・日清修好条規に調印:1871年
ⅰ.両国の代表
・日本:伊達宗城
・清:李鴻章
ⅱ.内容
・日本が外国と結んだ最初の対等条約
・協定関税・領事裁判権を互いに承認
・自由貿易
③朝鮮との関係
ⅰ.征韓論
・武力を用いてでも朝鮮を開国させる主張
※留守政府の西郷隆盛・板垣退助らが主張
・使節の派遣も決定
ⅱ.明治六年の政変:1873年
・岩倉使節団の帰国:大久保利通、木戸孝允ら
⇒内地優先を主張し、使節の派遣を中止
・征韓論争に敗れた西郷隆盛・板垣退助らは参議を辞職し、下野
※西郷は西南戦争、板垣は自由民権運動へ
※これ以降、政府の中心は大久保利通
ⅲ.江華島事件:1875年
・日本が軍艦雲揚を首都漢城近くの江華島に派遣し測量・徴発
⇒朝鮮からの砲撃に対し日本側が報復、戦闘へ
ⅳ.日朝修好条規:1876年
・朝鮮にとって不平等な条約
・朝鮮は釜山・仁川・元山を開港して開国
・日本の領事裁判権、関税免除を認める
④台湾出兵(征台の役)
ⅰ.原因
・1871年、台湾で琉球漂流民殺害事件が発生
⇒清国は責任を負わず
ⅱ.出兵
・1874年、日本は出兵を決定
・指揮:陸軍中将西郷従道(西郷隆盛の弟)
・結果:イギリスの調停により、日本軍は撤退、清は賠償金を支払う
※台湾出兵に反対した木戸孝允は参議を辞職し下野
⑤琉球
※薩摩藩の支配下にありながら清国を宗主国とする両属関係
・新政府は琉球を日本領に組み込む政策を展開
ⅰ.琉球藩の設置:1872年
・琉球国王尚泰を藩王とする
※清国は抗議
ⅱ.琉球処分:1879年
・沖縄県の設置を強行
※琉球王国・琉球藩の廃止
※「琉球処分」とは、琉球藩・琉球王国を廃止し沖縄県を設置したこと(のみ)を指す場合と、琉球藩の設置から沖縄県の設置までの一連のできごとを含む場合とがある。
⑥ロシア
樺太・千島交換条約:1875年
・樺太をロシア領、千島全島を日本領とする
・全権公使榎本武揚が交渉・調印
※日露和親条約では、択捉島以南を日本領、得撫島以北をロシア領とし、樺太は両国民雑居
⑦その他
・1876年、小笠原諸島の領有を各国に通告
⇒米英の異議なし、日本領(内務省の管轄)となる
2.新政府への反抗
⓪明治六年の政変で下野した征韓派
・西郷隆盛:薩摩
・板垣退助・後藤象二郎:土佐
・江藤新平・副島種臣:肥前
※内地優先派(政府に残留)
・岩倉具視、大久保利通、木戸孝允、伊藤博文、大隈重信ら
・木戸孝允は台湾出兵に反対して下野(1874)
・大隈重信は明治十四年の政変で下野(1881)
①士族反乱
※背景
・下級士族の没落:少ない家禄、徴兵制の導入
・士族の特権廃止:1876年の秩禄処分・廃刀令
おもな士族反乱:すべて鎮圧
ⅰ.佐賀の乱(佐賀):1874年
・征韓党が江藤新平を擁して蜂起
ⅱ.神風連の乱(敬神党の乱)(熊本):1876年
・廃刀令に不満を持つ神風連(敬神党)が熊本鎮台を襲撃
ⅲ.秋月の乱(福岡):1876年
・宮崎車之助らが神風連の乱に呼応して挙兵
ⅳ.萩の乱(山口):1876年
・前原一誠らが前2つの乱に呼応して挙兵
ⅴ.西南戦争(鹿児島):1877年
・私学校の学生を中心とする士族が西郷隆盛を擁して挙兵
・最大・最後の士族反乱
⇒以降、政府批判は言論中心へ(自由民権運動)
②農民一揆
ⅰ.血税一揆
・徴兵令に反抗して起きた一揆
・徴兵告諭の中の「血税」が誤解を招く
ⅱ.学制反対一揆
ⅲ.地租改正反対一揆:1876年
・高額な地租に反抗して起きた一揆
・真壁騒動(茨城大一揆):茨城で発生
・伊勢暴動(三重大一揆):三重・愛知・岐阜・堺4県で発生
※維新の三傑の死去
・木戸孝允:1877年病死
・西郷隆盛:1877年自害(西南戦争)
・大久保利通:1878年暗殺(紀尾井坂の変)