世界史:19世紀の欧米諸国3-露(概略)

19世紀のロシア

※南下政策:黒海の制海権を獲得し、さらに地中海への進出をはかる政策

⇒イギリスによって全て阻止される

 

1.アレクサンドル1世(在位1801~25)

①対ナポレオン

・モスクワ遠征を撃退(1812)

 

ウィーン会議:1815年

神聖同盟を提唱

 

③ギリシア独立戦争(1821~29)

・英仏とともにギリシア側で参戦

※オスマン帝国からの独立戦争

※戦争中にアレクサンドル1世は死去


2.ニコライ1世(在位1825~55)

デカブリスト(十二月党員)の乱:1825年

・貴族の青年将校が改革を求めて蜂起

※即位の日に発生・鎮圧

 

エジプト=トルコ戦争(1831~33、39~40)

・エジプトとオスマン帝国の2度の戦争

・ロシアはオスマン帝国を支援

 ※南下政策推進のため

 ⇒失敗

 

クリミア戦争(1853~56) 

・ロシアがオスマン帝国と開戦

 ※南下政策が目的

・英仏はオスマン帝国を支援(ロシアの南下阻止)

※戦争中にニコライ1世は死去


3.アレクサンドル2世(在位1855~81)

パリ条約(1856年)

・クリミア戦争の講和条約

 ※ロシアは敗北

・黒海の中立化:ロシア軍艦の航行禁止

 ※南下政策失敗

 

農奴解放令(1861)

・農奴の身分的自由を認める

※自由主義的改革

⇒ロシア産業革命の開始

 

ポーランドの反乱(1863~64)

・ポーランドの民族主義者が反乱

※ロシアは再び専制政治を強化

 

ロシア=トルコ戦争(露土戦争)(1877~78)

・ロシアの圧勝

ⅰ.サン=ステファノ条約(1878)

・ロシアはブルガリアを保護国化

・ロシアの南下政策成功。だが…

※イギリス・オーストリアが反対

 

ⅱ.ベルリン条約(1878)

ベルリン会議ビスマルクが調停

 サン=ステファノ条約の破棄

ルーマニアセルビアモンテネグロの独立承認

ブルガリアはオスマン帝国内の自治国に

 ※ロシアの南下政策は最終的に挫折

 

ナロードニキ運動

・1870年代のロシア国内で展開

インテリゲンツィア(都市の知識人階級)による運動

・標語ヴ=ナロード(人民のなかへ)」を掲げ農村へ入る

⇒農民を啓蒙して社会主義的改革を目指すが失敗

※ナロードニキの一部はテロリズム(暴力主義)

 ⇒アレクサンドル2世を暗殺(1881)