I.初期議会 ※第一議会~第六議会
※内閣を中心にまとめ
1.黒田清隆内閣:1888.4~89.12
・大日本帝国憲法の発布
・超然主義演説:政府の政策は政党の意向にさゆうされない
2.第1次山県有朋内閣:1889.12~91.5
※超然主義内閣
①第1回衆議院議員総選挙
※定員300名
・結果:民党の勝利
・民党171:立憲自由党130、立憲改進党41
・吏党129:大成会79、国民自由党5、無所属45
②第一議会
・政府は超然主義:民党と対立
ⅰ.政府の動き
・軍拡予算を提出
・主権線(国境)と利益線(朝鮮)の防衛を主張
ⅱ.民党の動き
・「政費節減、民力休養」を主張
※行政費を節約し地租軽減・地価の修正を要求
ⅲ.政府の工作
・自由党土佐派(植木枝盛ら29名)を切り崩して予算を成立
3.第1次松方正義内閣:1891.5~92.8
①第二議会
・海軍大臣樺山資紀の蛮勇演説:民党の軍事予算削減要求に対し藩閥政府を擁護
⇒衆議院解散、総選挙へ
②第2回総選挙:1892年
・内務大臣品川弥二郎による激しい選挙干渉
⇒それでも民党が勝利
③第三議会
・終了後、内閣退陣
4.第2次伊藤博文内閣:1892.8~96.9
※「元勲内閣」
①第四議会
・民党が軍事予算の削減を主張、政府と対立
・天皇の詔書と自由党の協力
⇒海軍軍備拡張予算成立
②第五議会
※民党の分裂
ⅰ.自由党
・政府に協力:準与党化
ⅱ.立憲改進党
・条約改正問題で政府と対立
⇒もと吏党の国民協会と連合し、対外硬派連合の成立
③第六議会
・外交政策・財政などで政府弾劾上奏案可決、解散へ
※間もなく日清戦争がおこる
II.条約改正
・目的:江戸幕府が欧米諸国と締結した不平等条約(安政の五カ国条約)の改正
・法権回復:領事裁判権(治外法権)の撤廃
・税権回復:関税自主権の回復
※改正交渉の担当者の覚え方
イテイオアムコ
・イ:岩倉具視
・テ:寺島宗則
・イ:井上馨
・オ:大隈重信
・ア:青木周蔵
・ム:陸奥宗光
・コ:小村寿太郎
1.岩倉具視 ※右大臣、特命全権大使
・1871~73年、岩倉使節団として派遣
・目標:おもに法権回復
・経過:予備交渉(アメリカ)失敗
⇒米欧の視察に切り替え
2.寺島宗則(1873~79年) ※外務卿
・目標:税権回復
※税権優先ときたら寺島宗則
・経過:アメリカが同意するが、イギリス・ドイツの反対で無効
3.井上馨(1879~87年) ※外務卿→外相
①欧化主義
・東京日比谷に鹿鳴館を建設
※イギリス人コンドルの設計
②経過
・1882年予備会議⇒1886年正式会議
※各国別交渉から一括交渉に転換
③条件つきで領地裁判権の撤廃の了承を得る
条件
・内地雑居:日本国内を外国人に開放
・近代的法典の整備
・外国人が被告の場合、外国人判事を過半数任用
④挫折:ノルマントン号事件(1886年)
・領事裁判によりイギリス人船長が無罪に
⇒政府内外から反対の声、条約改正交渉は失敗
※自由民権運動で三大事件建白運動(外交失策の回復)が起こる
4.大隈重信(1888~89年) ※外相
①国別交渉
・アメリカ、ドイツ、ロシアの賛成を得て、調印に成功
⇒報道で大審院に限り外国人判事の任用が明らかに
②挫折
・玄洋社の青年の襲撃で大隈重信が負傷
⇒条約改正交渉は振り出しへ
5.青木周蔵(1889~91年) ※外相
①イギリスの接近
・ロシアの南下政策を警戒。日本に好意的に
②大津事件:1891年
・来日中のロシア皇太子ニコライ2世を、警備中の巡査津田三蔵が襲撃
⇒交渉中止(失敗)
※政府は死刑を要求したが、大審院長児島惟謙は無期徒刑の判決を下させ、司法権の独立を守った
6.陸奥宗光(1892~95年) ※外相
①条約改正に成功
・駐英公使青木周蔵がイギリスと交渉
・1894年、日英通商航海条約に調印
※日清戦争の直前
②改正条約の内容
・領事裁判権の撤廃に成功
・関税自主権の一部回復:関税率の引き上げ
・相互対等の最恵国待遇
※他の各国とも改正条約を調印
⇒1899年から同時に施行
7.小村寿太郎(1908~11年) ※外相
①日米通商航海条約の改正:1911年
・関税自主権の(完全)回復に成功
⇒各国とも調印
・日本は条約上、列国と対等の地位になった
※領事裁判権の撤廃:イギリスから
関税自主権の回復:アメリカから