世界史:オスマン帝国の動揺と西アジア諸地域(概略)

1.オスマン帝国の衰退

①衰退の契機

ⅰ.第2次ウィーン包囲の失敗(1683)

・これ以降、領土の拡大から縮小へ

 

ⅱ.カルロヴィッツ条約(1699)

オーストリアハンガリーなどを割譲

 

②衰退の加速

ⅰ.ワッハーブ王国の成立(18世紀半ば)

・アラビア半島で独立

 

ⅱ.ギリシアの独立

・ギリシア独立戦争(1821~29)

 

ⅲ.エジプトの自立化

a.ムハンマド=アリーが実権をにぎる

ナポレオンのエジプト遠征に抵抗

 ⇒エジプト総督に就任(1805)

 

b.エジプト=トルコ戦争

・第1次:1831~33年、第2次39~40

ロンドン会議(1840) ※講和会議

エジプト総督の地位の世襲化を承認される

 ※要求していたシリアの領有は放棄

 

ⅳ.ロシア=トルコ戦争(露土戦争、1877~78)

ベルリン条約(1878)でバルカン半島の領土の大半を失う


2.オスマン帝国の改革

イェニチェリ軍団の解体(1826)

・イェニチェリの政治介入が近代化の障害に

イェニチェリ…オスマン帝国の歩兵常備軍

 

タンジマート(1839~76)

・スルタンのアブデュルメジト1世による西欧化改革

・保守派の抵抗などで挫折

 

ミドハト憲法の発布(1876)

・宰相ミドハト=パシャが起草

・1878年、スルタンのアブデュルハミト2世が停止

 ※理由:ロシア=トルコ戦争(露土戦争)


3.エジプト

※フランス人レセップスの提案でスエズ運河が完成(1865)

 

①エジプトの財政難

・理由:近代化・戦争

イギリス・フランスの介入を受ける

イギリスがエジプトからスエズ運河会社株を購入

 

ウラービー運動(1881~82)

・軍人ウラービー(オラービー)が外国支配に反抗

※スローガン:「エジプト人のためのエジプト」

・1882年、イギリスエジプトを保護国化


4.イラン

カージャール朝(1796~1925)

トルコマンチャーイ条約(1828)

ロシアとの戦いに敗れ、講和条約を結ぶ

・不平等条約:ロシアに治外法権を認め、関税自主権を失う

・東アルメニアを割譲

 

バーブ教徒の乱(1848~52)

・中小商人や貧農が反乱

・カージャール朝により弾圧


5.アフガニスタン

アフガン戦争(1838~42、78~80)

イギリスが2度にわたりアフガニスタンに侵攻

 ※ロシアのアフガン進出を警戒

⇒1880年、イギリスがアフガニスタンを保護国化