世界史:南アジア・東南アジアの植民地化(概略)

1.イギリスのインド支配

プラッシーの戦い:1757

イギリス東インド会社フランスに勝利

※インド支配をめぐり英仏は対立していた

 

マイソール戦争:1767~99 ※4次まで

マイソール王国を破る

南インドを征服

 

マラーター戦争:1775~1818 ※3次まで

マラーター同盟を破る

中部インドを征服

 

シク戦争:1845~49

シク王国を破る

西北インド(パンジャーブ地方)を征服

 

※19世紀半ばまでに、イギリス東インド会社はインド全域を制圧


2.植民地統治下のインド

①土地制度の変化

※イギリスが地税徴収制度を導入

ザミンダーリー制

ライヤットワーリー制

→インドの人々の困窮

 

②貿易構造の変化

・イギリス製綿布の大量流入

→1810年代、輸入が輸出を上回る

 

③イギリス東インド会社の変質

貿易独占権廃止:1813年

商業活動停止:1834年実施

 →東インド会社はインド統治機関となる


3.インド帝国の成立

インド大反乱:1857~59

・インド人傭兵シパーヒーの反乱

→民族的大反乱に発展

 ※農民・商工業者、旧支配層に広がる

・イギリスにより鎮圧

 

ムガル帝国の滅亡:1858

・イギリスがムガル皇帝を流刑に処す

→滅亡

 

③インド帝国の成立

ⅰ.東インド会社の解散:1858

・イギリス本国による直接統治に切り替え

 

ⅱ.インド帝国を樹立:1877

ヴィクトリア女王がインド皇帝を兼任

 ※1947年まで続く


4.東南アジアの植民地化

オランダの東南アジア進出

ジャワを支配(現在のインドネシア

 

ⅰ.アンボイナ事件:1623

・モルッカ諸島からイギリスを駆逐

 

ⅱ.マラタム王国を滅ぼす:1755

・ジャワ島の大半を支配

 

ⅲ.オランダ東インド会社解散:1799

・オランダ本国による直接支配へ

 

ⅳ.ジャワ戦争:1825~30

・オランダに対する大規模な反乱

※オランダの税制が悪化

 

ⅴ.強制栽培制度

・オランダの財政立て直しのために導入

・作物の買い上げ価格を一方的に決定

 

ⅵ.オランダ領東インドを形成

ジャワ島・スマトラ島などを植民地化

(現在のインドネシアにあたる地域)

 

イギリスの東南アジア進出

マレー半島・ビルマ(ミャンマー)を支配

 

ⅰ.海峡植民地の形成:1826

・イギリスがマレー半島に築いた植民地

ペナンマラッカシンガポールからなる

 

ⅱ.マレー連合州の形成:1855

・マレー半島の内陸へ支配領域を拡大

 

ⅲ.ビルマ戦争:1824~86 ※3次まで

・イギリスがビルマのコンバウン朝を滅ぼす

ビルマをインド帝国に併合

 

ⅳ.ゴムのプランテーション

・20世紀にマレー半島で盛んになる

 

スペインの東南アジア進出

フィリピンを支配

・1521年のマゼランの来航以降、フィリピンを支配

 

ⅰ.政教一致政策

・住民をカトリックに強制改宗

 

ⅱ.マニラの開港:1834

・国際貿易港として発展

 

フランスの東南アジア進出

※ベトナム・カンボジア・ラオスを支配

 

ⅰ.ベトナム保護国化の過程

a.西山の乱:1771~1802

黎朝が滅亡

西山政権を樹立

 

b.阮朝(1802~1945)

阮福暎西山政権を滅ぼして建国

 ※1804年、清から越南国の王に封じられる

 

c.フランスの侵略

ベトナム南部を占領:1867

 

d.劉永福の抵抗

黒旗軍を組織し北ベトナムで蜂起

・これを機にフランスが北部へ進出

 

e.ユエ条約:1883・84

・ベトナムはフランスの保護国となる

 

f.清仏戦争:1884~85

・ベトナムの宗主権を主張する清とフランスの戦争

→フランスの勝利

天津条約:清はフランスのベトナム保護権を承認

 

ⅱ.カンボジア保護国化:1863

 

ⅲ.フランス領インドシナ連邦の成立:1887

→1899年、ラオスを編入

 

⑤タイ

ラタナコーシン朝(チャクリ朝):1782~

チュラロンコン(ラーマ5世)のもとで近代化政策を推進

→植民地化を回避、独立を維持

※英仏の緩衝地帯