I.内閣と国内政治の展開
1.第2次伊藤博文内閣:1892.8~96.9
・自由党が内閣を支持
※板垣退助が内務大臣として入閣
2.第2次松方正義内閣:1896.9~98.1
・進歩党と提携
※大隈重信が外務大臣として入閣
・軍備を拡張
※進歩党…立憲改進党を中心に結成された政党
3.第3次伊藤博文内閣:1898.1~98.6
①超然主義に戻る
・自由党との提携に失敗
②憲政党の成立
・自由党と進歩党が合同し、内閣に対抗
⇒内閣退陣
4.第1次大隈重信内閣:1898.6~98.11
①特徴
・最初の政党内閣。与党は憲政党
②隈板内閣
・大隈重信が首相・外相を兼任
・板垣退助が内相
③共和演説事件
・失言により尾崎行雄が文部大臣を辞任
⇒後任をめぐり憲政党が内部対立
④憲政党の分裂
・憲政党:旧自由党系(板垣退助)
・憲政本党:旧進歩党系(大隈重信)
※わずか4カ月で内閣退陣
5.第2次山県有朋内閣:1898.11~1900.10
※憲政党の支持
①地租増徴:1898年
・地租が2.5%から3.3%に引き上げ
②各種法令の整備
ⅰ.文官任用令の改正:1899年
・高級官吏(官僚)になれる資格を制限
・原則として文官高等試験合格者に限る
※官僚への政党の影響力を排除
※文官懲戒令、文官分限令も制定
ⅱ.衆議院議員選挙法の改正:1900年
・小選挙区制をやめて大選挙区制とする
・選挙資格の変更:直接国税納入額を10円以上に引き下げ
※有権者の割合は2.2%に
ⅲ.治安警察法:1900年
・政治運動・労働運動の規制を強化
ⅳ.軍部大臣現役武官制:1900年
・陸・海軍大臣は現役の大将・中将に限る
③憲政党の動き
・山県内閣の一連の政策に憲政党が反発
⇒伊藤博文に接近
6.第4次伊藤博文内閣:1900.10~01.6
①立憲政友会の成立:1900年
・憲政党と伊藤系の官僚で結成
・総裁は伊藤博文
※「自由党を祭る文」:幸徳秋水が『万朝報』に掲載
②退陣
・貴族院と対立し、退陣
7.桂園時代:1901.6~13.2
※山県、伊藤らの引退後
①桂太郎
・長州出身。山県有朋の後継者
・軍部・官僚・貴族院勢力を代表
②西園寺公望
・公家出身。伊藤博文の後継者
・立憲政友会総裁
③元老の形成
・非公式に天皇を補佐する最高顧問
※憲法などの条文に規定なし
・首相の推薦、重要政務に関与
・政界を引退した者(おもに首相経験者)で構成
⇒伊藤博文、山県有朋ら。のちに桂太郎、西園寺公望も加わる
II.中国分割と日英同盟
1.中国分割
・日清戦争で清が敗北
⇒1898~99年、列強が清国内に勢力範囲を設定
①列強と租借地
・ドイツ:山東半島の膠州湾
・ロシア:遼東半島の旅順・大連
・イギリス:九竜半島、威海衛
・フランス:広州湾
②アメリカの動き
ⅰ.モンロー宣言:1823年
・大統領モンローによる
・アメリカのヨーロッパへの不介入
・ヨーロッパ諸国のアメリカ大陸への介入を拒否
ⅱ.ハワイ併合:1898年
※同年、フィリピンを領有
ⅲ.門戸開放宣言:1899年
・国務長官ジョン・ヘイによる
・外交姿勢の転換
⇒中国の門戸開放・機会均等を宣言
2.清の反発と武力衝突
①義和団事件:1899~1900年
・義和団が「扶清滅洋」をとなえ、北京の列国公使館を包囲
②北清事変:1900年
・清国政府が義和団に同調し、列国に宣戦布告
⇒8カ国の連合軍が出兵
※日本軍は「極東の憲兵」の評価を受ける
③北京議定書:1901年
・清国政府は列国に賠償金を支払う
・北京駐留権:各国護衛兵が北京公使館区域に駐留
・公使館所在区域における治外法権
3.日露の対立
・朝鮮・満州をめぐり対立
①朝鮮の動き
ⅰ.親露派政権の台頭
・大院君の親日政権をたおした閔妃の親露派が台頭
ⅱ.閔妃殺害事件:1895年
・駐韓公使三浦梧楼による
⇒国王高宗はロシア公使館に逃れる
ⅲ.大韓帝国の成立:1897年
・国号を大韓帝国(韓国)に改め、高宗は皇帝となる
※親露政権
②満州をめぐる対立
・北清事変後もロシア軍が中国東北部(満州)に駐留を続け、事実上占領
・旅順はロシアの軍事基地化
③日本の対露政策
ⅰ.日露協商論(満韓交換論)
・元老の伊藤博文、井上馨らが主張
・ロシアに満州経営の自由を認め、日本は韓国に対する優越権を得る
⇒日本は対露交渉をしつつ開戦準備
ⅱ.日英同盟論
・桂太郎内閣の方針
・イギリスと同盟を結び、ロシアに対抗して韓国における権益を守る
④日英同盟協約:1902年
※日英同盟の成立
・日英はたがいに清国・韓国の独立と領土の保全を認め合う
・清国における両国の利益、韓国における日本の利益の承認
・一方の国が交戦した際、他方の国は厳正中立を守る
⇒第三国が敵国側で参戦した場合、他方も参戦する
⑤日本国内の動向
ⅰ.非戦論・反戦論
・キリスト教徒内村鑑三
・社会主義者幸徳秋水、堺利彦:平民社を結成し『平民新聞』を発行
・与謝野晶子:反戦詩「君死にたまふこと勿れ」を雑誌『明星』に発表
ⅱ.開戦論
・対露同志会:対露強硬論の団体
・七博士:戸水寛人らが桂太郎首相に意見書提出
・黒岩涙香の『万朝報』:非戦論から開戦論に転じた
※内村鑑三、幸徳秋水、堺利彦はこれに反対し退社
・徳富蘇峰の『国民新聞』