1.応仁の乱と戦国時代の始まり
①応仁の乱
応仁の乱は、1467年、8代将軍足利義政のあとつぎをめぐる有力守護大名どうしの対立から始まり、多くの勢力を巻き込んだ大きな戦いに発展しました。この戦乱は全国に拡大し、日本は戦国時代に入りました。
戦国時代の社会では、それまでの権威は通用しなくなりました。下の身分の者が実力で上の身分の者にとってかわる風潮が広まりました。このような風潮を下剋上といいます。
②戦国大名の領国支配
守護大名は室町幕府の将軍からその地域の支配を認められていましたが、戦国大名は幕府に関係なく、自分の力で領国を支配する存在です。えらい人に認められる必要などなく、実力で下剋上を果たし、自分の領国を支配するようになりました。
戦国大名は自分の城を中心に城下町を形成しました。家来だけでなく、商工業者なども呼び集めて町をつくりました。
さらに、領国を統治するための法律として、分国法を定めました。その内容は戦国大名によってまちまちですが、家臣・武士・農民の行動を取りしまるほか、けんか(喧嘩)両成敗などがありました。
2.室町時代のさまざまな一揆
室町時代には、一揆が数多く起こりました。
①正長の土一揆:1428年
正長の土一揆は近畿地方一帯で発生しました。土一揆とは、一致団結した農民が武力で反抗する一揆です。かれらは借金に苦しむことも多く、借金の帳消しを求めて徳政令を要求することもありました。その場合は、徳政一揆と呼ぶこともあります。
②山城国一揆:1485年
応仁の乱後の1485年には、京都府で山城国一揆が発生しました。これは、地元の武士や農民が守護大名の畠山氏の軍を追い出し、8年間にわたって自治を行ったというものです。こういうところにも下剋上の風潮が見て取れますね。
③加賀の一向一揆:1488年
1488年、加賀の一向一揆が現在の石川県でありました。浄土真宗を信仰する武士や農民が一揆を起こし、守護大名をたおして約100年間の自治を行いました。これも下剋上の風潮のあらわれということができます。
3.室町文化
室町時代には、貴族と武士の文化がとけあった文化が栄えました。
①建築など
建築では、3代将軍でもあった足利義満が北山の別荘に建てた鹿苑寺金閣があります。また、義満の時代には、舞台芸能の能(能楽)が、観阿弥・世阿弥親子によって大成されました。能の合間には狂言も演じられました。
8代将軍の足利義政は、東山の別荘に慈照寺銀閣を建てました。この時期には、書院造という建築様式がみられるようになりました。書院造は、現在の和風建築のもととなった建築様式で、床の間や違い棚、ふすま・障子、たたみ、天井をはる、などの特徴があります。
②芸術・文芸など
芸術では、 墨の濃淡で自然をえがく水墨画が雪舟により大成されました。
龍安寺(京都府)の石庭は、枯山水で有名です。枯山水とは、庭に石と白い砂利を使って水や自然を表現する方法です。
参加者が集団で和歌の上の句と下の句を次々とつなげていく連歌も流行しました。
「一寸法師」や「浦島太郎」などが有名な絵入りの物語である御伽草子(お伽草子)も数多くつくられました。
③町衆
京都の有力な商工業者は町衆とよばれ、応仁の乱で中断していた祇園祭もかれらによって復興されました。
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