平和主義
1.戦後世界の大まかな流れ
まず、戦後の世界を平和主義に関連する内容に絞って確認します。
・1945年、日本が降伏し、第二次世界大戦が終結しました。
・それから1990年頃までは、長らく米ソ両陣営の対立、すなわち冷戦が続きました。
・1990年代になると、地域紛争が増加します。
・2000年代以降になると、いわゆるテロとの戦いも加わってきます。
2.世界情勢と日本
①冷戦下
戦後から1990年頃までの世界情勢と日本の状況を確認していきます。
1950年、まだ日本がGHQの占領下にあった時期ですが、この年に朝鮮戦争が起こりました。これを受けて、GHQは日本に警察予備隊の創設を指示しました。警察予備隊は1952年に保安隊、さらに1954年には自衛隊へと強化されていきました。
冷戦でソ連など東側陣営と対立していたアメリカは、日本を西側陣営に組み込むため、日本の独立を急ぎました。1951年にサンフランシスコ平和条約で日本の独立を実現するとともに、日米安全保障条約が調印されました。
1960年には新安保条約が調印され、日米安全保障条約が改定されています。なお、このとき日米地位協定も締結され、在日米軍とその構成員の地位や基地の管理などについて定められました。
こうして戦後の日本の安全保障は日米同盟のもとで構築されていきます。
1978年には、日米防衛協力のための指針( (旧)ガイドライン)が策定されたほか、同年から日本が本来負担する義務のない費用も負担する思いやり予算も始まりました。
②冷戦後
冷戦が終結した後の日本の安全保障体制の変化を見ていきましょう。
1992年、PKO協力法(国連平和維持活動協力法)が制定され、自衛隊がカンボジアなどに派遣されました。
1997年には、新たな日米防衛協力のための指針(新ガイドライン)が策定されました。1978年に策定されたものと同じ名称ですが、1978年のものを「ガイドライン(または旧ガイドライン)」、1997年のものを「新ガイドライン」と呼んで区別します。
21世紀最初の年、2001年にアメリカ同時多発テロが発生しました。アメリカが対テロ戦争を始めるのにあたり、日本はテロ対策特別措置法を制定しました。
さらに2003年には、アメリカがイラクを攻撃してイラク戦争が始まりました。この時は、日本はイラク復興支援特別措置法を制定し、主要な戦闘終結後のイラクに自衛隊が派遣されました。
日本国内では、戦争などの緊急事態における国内での対応を定めた有事関連3法が2003年に成立しました。さらに2004年には有事関連7法が成立しています。
3.日本の平和主義
①文民統制(シビリアン・コントロール)
文民統制とは、文民、すなわち軍人でない人(政治家など)が、軍隊を統制し、軍の暴走を防ぐ制度のことです。日本の場合、自衛隊の最高指揮権は文民である内閣総理大臣にあります。日本国憲法でも、内閣総理大臣は文民でなければならないとされています(第66条②)。
②非核三原則
唯一の被爆国である日本は、核兵器を「もたず、つくらず、もち込ませず」という非核三原則を掲げています。