歴史4-16① 外国船の来航、国内の動揺 まとめ

ポイント解説

18世紀の後半以降、ロシアラクスマンをはじめとして、たびたび外国船が来航しました。これに対し、幕府は異国船打払令を出すなどして鎖国を守ろうとしました。国内では天保のききん大塩の乱がおこるなど、幕府は国内外において問題をかかえることとなりました。 


1.外国船の来航と幕府の対応

ラクスマン(ロシア)の来航

・1792年、蝦夷地の根室に来航

・漂流民大黒屋幸太夫を送り届け、通商(貿易)を求める

 

レザノフ(ロシア)の来航

・1804年、長崎に来航

→通商を求めるが幕府は拒否

 

③幕府による蝦夷地・樺太(サハリン)の調査

※派遣された人物

・最上徳内、近藤重蔵

間宮林蔵伊能忠敬に測量術を学ぶ。樺太が島であることを発見

 →幕府は蝦夷地を直接の支配地にした

 

④フェートン号事件:1808年

イギリスの軍艦がオランダ船を追い長崎港に侵入

 

異国船打払令(外国船打払令):1825年

・日本に近づく外国船を砲撃し追い払うことを命じた

 

⑥モリソン号事件1837年

・漂流民を送り届けに来たアメリカの商船を砲撃した事件

→蘭学者の渡辺崋山高野長英が幕府の政策を批判

蛮社の獄:1839年、幕府は2人を処罰


2.国内の動揺

天保のききんの発生:1830年代

・農村で百姓一揆が急増

・都市部で打ちこわしが急増

 

大塩の乱(大塩平八郎の乱):1837年

・もと大阪町奉行所の役人で陽明学者の大塩平八郎が、弟子などとともに乱をおこす

・幕府に衝撃が走る

 

③渋染一揆

・1855年、岡山藩が倹約令を出す

→えた身分の人々が抗議の嘆願書を提出

→岡山藩は倹約令を撤回


漢字の読み方(タップで開きます) ・根室:ねむろ
・漂流民:ひょうりゅうみん
・大黒屋幸太夫:だいこくやこうだゆう
・最上徳内:もがみとくない
・近藤重蔵:こんどうじゅうぞう
・間宮林蔵:まみやりんぞう
・樺太:からふと
・異国船打払令:いこくせんうちはらいれい
・渡辺崋山:わたなべかざん
・高野長英:たかのちょうえい
・蛮社の獄:ばんしゃのごく
・大塩平八郎:おおしおへいはちろう
・渋染一揆:しぶぞめいっき

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