歴史3-9① 応仁の乱とさまざまな一揆 まとめ

1.応仁の乱

①発生の年代

1467年、室町幕府8代将軍足利義政のとき、

 ※1477年まで続いた

 

②発生のきっかけ

・将軍のあとつぎをめぐる、有力な守護大名の対立

 ※細川氏と山名氏が対立

 

③将軍のあとつぎ候補

足利義尚足利義政と妻日野富子

足利義視足利義政で養子になっていた

 

※これに他の守護大名内部のあとつぎ争いなどもからみ、東軍・西軍に分かれ大規模な戦乱に発展

 

④結果

・戦乱は11年におよび、京都は荒廃

 →その後も全国で戦乱が続き、日本は戦国時代となる

 

 

2.戦国時代

応仁の乱以降、室町時代の後半の約100年間

下剋上…下の身分の者が実力で上の身分の者に打ち勝つ社会の風潮

 

 

3.さまざまな一揆

土一揆

・一致団結した農民が、年貢の軽減や不正を行う役人を辞めさせることなどの要求をかかげて武力で反抗すること

 

徳政令を要求する徳政一揆になることも

 例)1428年、正長の土一揆(近畿地方一帯)

※幕府は要求を受け入れて徳政令を出すこともあった

 

 

国一揆

・地方在住の武士と農民が団結して、守護大名の支配に対抗すること

 

 例)1485年、山城(の)国一揆(京都府)

  →守護大名の畠山氏の軍を追い出し、8年間にわたって自治を行った

 

 

一向一揆

浄土真宗一向宗)の信仰で団結した武士や農民が起こした一揆

 例)1488年、加賀の一向一揆(石川県)

  →守護大名をたおして約100年間の自治を行った

 

 

 

※漢字の読み方

足利義政:あしかがよしまさ

・足利義尚:あしかがよしひさ

・日野富子:ひのとみこ

・足利義視:あしかがよしみ

下剋上:げこくじょう

土一揆:つちいっき(どいっき)

正長:しょうちょう

国一揆:くにいっき

山城:やましろ

畠山:はたけやま

一向一揆:いっこういっき