歴史3-5② 鎌倉幕府の滅亡 まとめ


1.鎌倉幕府のおとろえ

①御家人の生活が苦しくなる

その理由

分割相続により領地が小さくなっていた

元寇での戦いに対する恩賞が不十分

 

②幕府の対応

・1297年、幕府は徳政令(永仁の徳政令)を発令

→内容:借金の帳消しや、御家人が失った土地をただで取り戻させた

 ※しかし、かえって経済が混乱

 

悪党の出現

・荘園領主に年貢を納めず、幕府にも従わない、新興の武士や商人の集団


2.鎌倉幕府の滅亡

後醍醐天皇の動き

・幕府を倒す計画を立てる

 ※政治の実権を朝廷に取りもどすため

→一度は失敗し、隠岐(島根県)に流される。のち脱出

 

②鎌倉幕府の滅亡

・新興武士の楠木正成、有力御家人の足利尊氏新田義貞

 →後醍醐天皇に協力し、幕府をたおすために動く

1333年鎌倉幕府がほろぶ


漢字の読み方(タップで開きます) ・永仁の徳政令:えいにんのとくせいれい
・悪党:あくとう
・後醍醐天皇:ごだいごてんのう
・楠木正成:くすのきまさしげ
・足利尊氏:あしかがたかうじ
・新田義貞:にったよしさだ