人物歴史3 平安時代2(11・12世紀) 解説

人物一覧

平安時代③

藤原道長

藤原頼通

紫式部

清少納言

白河上皇

 

平安時代④

平清盛

源義経


③11世紀(1001~1100年)

11世紀の初め~半ばに、藤原氏による摂関政治が全盛期をむかえます。藤原道長と、その子藤原頼通のときでしたね。藤原氏は、天皇が幼いときには摂政、成人してからは関白として政治の実権をにぎりました(摂関政治)。さらに、藤原氏は娘を天皇のきさきにし、生まれた男子を次の天皇にすることで、大きな影響力をもつようになりました。

藤原道長は、「この世をば わが世とぞ思う 望月の 欠けたることも なしと思えば」という和歌をよみ、その繁栄ぶりを誇りました。

 

摂関政治が栄えた時期は、国風文化が最も発達した時期でもありました(国風文化は紀貫之の時期もふくみますので、範囲が広いです)。

 

かな文字が登場したことですぐれた文学作品が登場しました。 紫式部は小説の「源氏物語」を、清少納言は随筆の「枕草子」を書きました。

また、藤原頼通は、京都の宇治に平等院鳳凰堂を建立しました。平等院鳳凰堂は10円玉にもえがかれていますね。

 

藤原頼通のあと、摂関家(藤原氏)はおとろえていきました。かわって政治の実権をにぎったのが、天皇の位をゆずった上皇でした。上皇による政治を、院政といいます。院政を初めて行ったのが、白河上皇でした。


④12世紀~源平の争乱(1101~1185年)

武士は朝廷とつながりをふかめ、政治的な発言力を増大させていきました。12世紀後半以降になると、武士のなかでも平氏が政治の実権をにぎるようになりました。

平清盛は、1167年に武士として初めて太政大臣になりました。平清盛は藤原氏と同様に、娘を天皇のきさきにし、生まれた男子を天皇としました。また、日宋貿易によって経済的にも栄えました。

 

しかし、平氏の専制的な政治に対し、他の武士たちは不満を強めました。1180年から平氏と源氏の戦いが始まり、最後は1185年の壇ノ浦の戦いで、源義経(源頼朝の弟)らによって平氏はほろぼされました


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