歴史2-5② 大和政権と中国・朝鮮半島との関係 まとめ

1.中国・朝鮮半島のようす

①中国

・5世紀ごろ:南北朝時代

 

②朝鮮半島の国々

・北部:高句麗 

・東部:新羅 

・西部:百済 

・南部:伽耶(加羅任那)地域 →南部は多くの小国が分立し、統一せず


2.大和政権(ヤマト王権)と朝鮮半島との関係

①大和政権と朝鮮半島

・半島南部の伽耶(加羅任那)地域国々とつながりを深めた

目的資源や進んだ技術を求めていたため

 

高句麗好太王碑(広開土王碑)の記録

・大和政権は百済伽耶(加羅任那)地域の国々と関係を深め、高句麗新羅と戦った


3.大和政権(ヤマト王権)と中国との関係

①中国の歴史書:「宋書」の記述

倭の五王(讃・珍・済・興・の5人の大王)が、中国の南朝にたびたび使いを送っていた

目的:倭王の地位と、朝鮮半島南部の軍事的な指揮権を、皇帝に認めてもらうため

 

②古墳からの出土物

・埼玉県 稲荷山古墳 出土の鉄剣

・熊本県 江田船山古墳 出土の鉄刀

→刻まれている文字:「ワカタケル大王」 = 倭王のこと


4.渡来人

・中国や朝鮮から日本にやって来て、進んだ技術や文化を伝えた人々

 

渡来人によって伝えられたもの

漢字儒学儒教

・5世紀初めに伝わる

 

仏教

・6世紀半ば、百済から伝わる

 

須恵器

・高温で焼いた、かたくて灰色(黒っぽい)の土器

 

④その他

・土木工事、絹織物などの進んだ技術


漢字の読み方(タップで開きます) ・高句麗:こうくり、コグリョ
・新羅:しらぎ、シルラ
・百済:くだら、ペクチェ
・伽耶:かや
・加羅:から
・任那:みまな、イムナ
・好太王碑:こうたいおうひ
・広開土王碑:こうかいどおうひ
・「宋書」:そうじょ
・讃:さん
・珍:ちん
・済:せい
・興:こう
・武:ぶ
・稲荷山古墳:いなりやまこふん
・江田船山古墳:えたふなやまこふん
・渡来人:とらいじん
・須恵器:すえき