人物歴史4 鎌倉時代、建武の新政 解説

1.鎌倉時代

鎌倉時代は、1185年(または1192年)から1333年までの約140年間続きました。特に鎌倉文化で名前の出てくる人物が多くなっています。

 

①鎌倉時代前半の政治

征夷大将軍に任命されて鎌倉幕府を開いたのが[源頼朝]です。[源頼朝]は、弟の源義経を送って、平氏をほろぼしました。さらに、東北地方で栄えていた奥州藤原氏をもほろぼしました。

 

源氏の将軍が3代で途絶えると、朝廷に政治の実権を取りもどそうとした[後鳥羽上皇]が、1221年に承久の乱を起こしました。このとき、亡き源頼朝の妻であった[北条政子]の呼びかけにより、御家人が団結して戦い、幕府が勝利しました。

乱後、幕府は京都に六波羅探題を置いて、朝廷の監視を強めたのでしたね。

 

鎌倉幕府の将軍の補佐をする役職が、執権です。この執権の職に代々ついたのが北条氏でした。3代目の執権となった[北条泰時]は、1232年に武士の法律である御成敗式目(貞永式目)を定めました。

 

 

②鎌倉文化

鎌倉時代に栄えた文化を鎌倉文化といいます。文学で3人、新しい仏教で6人を、覚えておきましょう。

藤原定家]は「新古今和歌集」を編さんしました。[鴨長明]は「方丈記」を書き、[兼好法師]は「徒然草」を書きました。

 

続いて、新しい仏教(鎌倉新仏教)である6つの宗派と、それを広めた人物(開祖)を確認しておきます。

法然]は、念仏(南無阿弥陀仏)と唱えれば、だれでも極楽浄土に生まれ変われると説いて、浄土宗を開きました。

その弟子の[親鸞]は、悪人こそ救われると説いて、浄土真宗を広めました。

一遍]は踊(おどり)念仏などを通して布教活動を行い、時宗を広めました。

 

日蓮]は、題目(南無妙法蓮華経)を唱えれば人も国家も救われると説いて、日蓮宗法華宗)を開きました。

 

以上の宗派とは別に、座禅によって自分で悟りを開こうとする禅宗が、宋から伝えられました。禅宗には2つあります。[栄西]が伝えたのが臨済宗で、[道元]が伝えたのが曹洞宗でした。

 

 

③鎌倉時代後半

チンギス・ハンの孫の[フビライ・ハン]は、国号をと定め、日本に対して服属を要求してきました。鎌倉幕府の8代執権の[北条時宗]がこれを拒否したため、元は大軍を率いて、2度にわたって日本を攻めてきました。これを元寇といいます。

 

御家人は元寇でがんばって戦いましたが、外国との戦いであったため新たな領地が得られず、恩賞も少なかったため、御家人は幕府に対する不満を強めていきました。

 

 

2.建武の新政

鎌倉幕府のおとろえを見た[後醍醐天皇]は、朝廷に政治の実権を取りもどして天皇中心の政治を行うため、鎌倉幕府をほろぼす計画を立てました。これに御家人も協力し、1333年に鎌倉幕府は滅亡しました。

翌1334年から、[後醍醐天皇]による新しい政治、建武の新政が始まりました。しかし、これもわずか数年で失敗に終わりました。