歴史7-3 占領政策の転換と日本の独立回復 解説

1.朝鮮戦争の日本への影響

1950年に朝鮮戦争が始まると、アメリカ軍が大量の軍需物資を日本で調達したため、日本は好景気となりました。

これを[特需景気朝鮮特需)]といい、日本経済の復興が早まる結果となりました。

 

日本の非軍事化と民主化を進めていたGHQでしたが、朝鮮戦争を受けて、その政策を修正しました。

1950年、アメリカ軍が朝鮮半島に出動した後の日本の治安を守るため、GHQの指示により[警察予備隊]が設置されました。警察予備隊は、1954年に[自衛隊]となりました。

 

 

2.日本の独立回復

アメリカは、日本を西側陣営の一員に組み込みたいと考え、日本との講和を急ぎました。

 

1951年、[吉田茂]首相が48か国との間で[サンフランシスコ平和条約]に調印しました。日本はそれだけ多くの国と戦争をしていたということでもあります。この条約の調印により、日本と各国との戦争状態が終了となりました。翌1952年にこの条約が発効したことで、日本は独立を回復しました。

しかし、[沖縄県]や小笠原諸島などは引き続きアメリカの統治下におかれ、返還されるまでには時間がかかりました。

 

サンフランシスコ平和条約の調印と同時に、[吉田茂]内閣はアメリカとの間で[日米安全保障条約]に調印しました。この条約の規定にもとづいて、日本の独立回復後も日本国内にアメリカ軍基地が残ることになりました。

 

 

3.安保条約の改定

1954年、アメリカの水爆実験により日本の漁船が被ばくするできごとがありました。この[第五福竜丸]事件をきっかけに原水爆禁止運動が広がり、1955年、第1回原水爆禁止世界大会が広島で開催されました。

 

1960年には、1951年に調印された[日米安全保障条約]が改定されました。このとき、[安保闘争]とよばれる激しい反対運動もおこりました。