歴史6-3 大正デモクラシーと大衆文化 解説

1.[大正デモクラシー]の時代

大正デモクラシー]とは、大正時代に高まりをみせた民主主義・自由主義の風潮のことです。

大正時代は1912年から1926年まで続きました。

この時期のできごとを確認していきます。

 

1913年、藩閥の[桂太郎]が首相になると、新聞や知識人を中心に[第一次護憲運動憲政擁護運動)]がおこり、桂内閣は50日余りで退陣しました。

 

1916年には、[吉野作造]が[民本主義]を主張しました。これは、普通選挙と政党内閣を実現させ、国民の意見を政治に反映させる必要性を説いたものです。

 

大正時代には第一次世界大戦も起きていますが、日本は戦場になっていなかったこともあり日本経済は[大戦景気]とよばれる好景気にわきました。国内では海運業・造船業が発展し、輸出が増大しました。

 

 

1918年、米の安売りを求める運動が富山県から全国に広がりました。この[米騒動]に対し、政府は軍隊を出動させて鎮圧しました。[米騒動]がおこった原因は、[シベリア出兵]を見越した商人が

米を買い占めたことで、米価が大きく値上がりしたためです。

 

米騒動の後、同じ1918年に成立したのが[原敬]内閣です。この内閣は、初の[本格的な政党内閣]です。

ちなみに、「“本格的”ではない政党内閣」はこれより20年ほど前に成立しています。(これは高校の日本史で出てくる内容になります。)

 

 

さて、1925年、[加藤高明]内閣のもとで[普通選挙法]が成立しました。これにより、納税額による選挙権の制限がなくなり、男子普通選挙が実現しました。

有権者の資格は、[満25歳以上の(すべての)男子]となりました。しかし、同時に[治安維持法]も制定され、社会主義運動に対する取りしまりが強化されました。

 

1924年成立の加藤高明内閣から、1932年に犬養毅内閣が[五・一五事件]で倒れるまでの8年間は、[政党内閣]が続きました。

 

 

大正時代には女性運動もさかんになりました。

女性の政治参加などを訴えて女性解放運動に力を注いだのが、[平塚らいてう]です(「らいちょう」と読みます)。

平塚らいてう]は青鞜社を結成したほか、市川房枝らとともに[新婦人協会]を結成しています。

 

 

1922年には、部落差別からの解放を求めて[全国水平社]が結成されるなど、解放運動も見られました。

 

 

2.大衆文化と都市の発展

大正時代には、大衆文化が発展しました。

1925年、[ラジオ]放送が開始されました。その後、[ラジオ]は情報伝達手段として各家庭に広まっていきました。

 

都市の郊外などには[文化住宅]とよばれる集合住宅が建設されました。[大衆雑誌]が発行され、多くの国民に読まれるようになりました。

 

1923年9月1日に発生した[関東大震災]では、10万人以上もの多くの人が亡くなりました。その復興を通して、東京や横浜は近代的な都市として生まれ変わることなりました。