歴史5-6 自由民権運動 解説

1.自由民権運動の始まり

朝鮮に対する方針の対立から政府を去っていた板垣退助たちは、1874年に民撰(民選)議院設立の建白書を政府に提出し、言論によって政府を批判する運動を始めました。

板垣退助たちは、旧薩摩藩・長州藩を中心とする政府(藩閥政府)に対する批判を強め、特に政府の中心となっていた薩摩出身の大久保利通の政治を、専制政治(藩閥政治)として批判しました。

 

こうして、議会(国会)の開設や憲法の制定、国民の自由や権利を求める運動が各地に広がりました。この運動を自由民権運動といい、1870年代なかばから1880年代に展開されました。

 

板垣退助たちは言論で政府を批判する運動を展開したわけですが、この一方で、鹿児島の士族たちは武力で反乱を起こしました。1877年に起こったこの大規模な反乱を西南戦争といいます。反乱の中心となったのは、明治政府を去っていた薩摩出身の西郷隆盛でした。この反乱は、徴兵制でつくられた政府軍によってしずめられました。以後、武力による反乱はおさまりました。

 

 

2.自由民権運動のもりあがり

1880年、全国の代表者が大阪に集まり国会期成同盟を結成し、政府に対し国会の開設を要求しました。1881年、政府はついに国会開設の勅諭を出し、10年後に国会を開くことを約束しました。

 

国会の開設が決定したことを受けて、自由民権運動は政党の結成に進みました。1881年、板垣退助を党首として結成された政党が自由党、翌1882年に大隈重信を党首として結成された政党が立憲改進党です。

 

 

3.自由民権運動の一時的な停滞

しかし、1880年代なかばにおこったいくつかの激化事件により、自由民権運動は一時的に停滞しました。この激化事件の1つが、埼玉県秩父事件です。借金に苦しむ農民らが暴動を起こしました。