歴史4-4 江戸時代② 鎖国政策 解説

1.鎖国政策

1637年、天草四郎(益田時貞)という少年を大将とする大規模な一揆が、キリスト教徒の多い九州でおこりました。これを島原・天草一揆(島原の乱)といいます。この反乱は幕府によってしずめられましたが、その後、幕府はキリスト教徒を見つけるために行われていた絵踏を強化するようになりました。

 

キリスト教の布教が日本を侵略することにつながると考えた幕府は、1639年にポルトガル船の来航を禁止しました。こうして日本との貿易を認められたのはオランダ中国(清)だけとなりました。さらにキリスト教国のオランダは、1641年に商館を長崎の出島に移され、出島でのみ貿易を許されることとなりました。こうして、3代将軍の徳川家光のときに、いわゆる鎖国が完成しました。

 

鎖国とは、幕府によってキリスト教が禁止され、幕府が貿易を統制外交を独占している状態のことをいいます。

 

また、貿易相手国はオランダ中国()のみとなりました。またオランダは、世界のできごとを報告書にして幕府に提出することとされ、幕府は海外情報を独占しました。

 

 

2.鎖国下の対外関係

鎖国政策をとった江戸幕府でしたが、海外との交流が完全になくなったわけではなく、江戸時代には4つの窓口がありました。

 

①長崎

1つめの窓口は長崎です。貿易を許されたのは中国()オランダの2か国のみで、長崎で貿易が行われました。

オランダ商館は扇形の人工島である出島に移され、そこでのみ貿易が認められました。オランダはポルトガルやスペインと違ってキリスト教の布教を行いませんでしたが、キリスト教の国であることに変わりはないため、一般の日本人と関わらないようにするなど、幕府も警戒をしていたわけです。

 

②対馬

2つめの窓口は対馬です。豊臣秀吉の出兵によって国交がだえていた朝鮮とは、江戸時代初期の17世紀初め、徳川家康によって国交が回復されました。朝鮮との外交・貿易を担当したのが対馬藩宗氏でした。

朝鮮からは、幕府の将軍の代がわりなどに、通信使が江戸を訪れました。

 

薩摩

3つめの窓口は薩摩です。現在の鹿児島県にあった藩ですね。薩摩島津氏は、江戸時代初期の17世紀初めに琉球王国を武力で征服し、服属させました。琉球王国は江戸時代を通じて、清と日本の両方に服属することとなりました。

 

松前

4つめの窓口は松前です。現在の北海道の南端にありました。松前松前は、アイヌ民族との交易を独占しました。