歴史4-1 ヨーロッパ人の来航、安土桃山時代① 解説

1.ヨーロッパ人の来航

1543年、戦国時代の日本に初めてヨーロッパ人が来航しました。

このとき種子島に漂着したポルトガルによって、鉄砲が日本に伝わりました。この鉄砲は戦国大名に注目され、新しい武器としてまたたく間に広まり、各地で製造されるようになりました。

 

1549年にはイエズス会の宣教師フランシスコ・ザビエルが鹿児島に上陸し、日本にキリスト教が伝わりました。キリスト教は庶民だけでなく戦国大名にも広まりました。キリスト教を信仰した大名をキリシタン大名といいます。キリシタン大名のなかには、4人の少年使節をローマ教皇のもとへ派遣する者もいました。

 

なお、このころ日本にやってきたヨーロッパ人は、スペインポルトガルです。彼らは南蛮人(なんばんじん)とよばれたので、日本と南蛮人(スペイン人・ポルトガル人)との間で行われた貿易を南蛮貿易といいます。

 

 

2.織田信長の統一事業

16世紀半ば以降、戦国時代の日本で天下統一に向かって目覚ましく活躍したのが、尾張(愛知県)出身の戦国大名の織田信長でした。

 

織田信長は1560年に桶狭間の戦い今川義元を破って勢力を拡大し、やがて京都に入って政治の実権をにぎりました。

1573年には、室町幕府の15代将軍足利義昭を京都から追放し、形だけ続いていた室町幕府をほろぼしました

 

1575年の長篠の戦いでは、鉄砲を組織的に使って武田氏に勝利しました(武田信玄はすでに亡くなっていますよ)。

また、琵琶湖のほとり(滋賀県)に安土城を築き、天下統一のための拠点としました。

 

信長のその他の政策としては、楽市・楽座があります。これは、座を廃止し、市の税を免除するという内容で、商工業を盛んにするために発令されました。

 

宗教政策ではキリスト教を保護する一方、自分に従おうとしない仏教勢力とは対立し、延暦寺の焼き討ちなどを行いました。

 

天下統一を目前にした織田信長でしたが、1582年、家臣の明智光秀が反乱を起こし、信長は自害しました。このできごとを本能寺の変といいます。

天下統一という信長の夢はこうして破れ、家臣の秀吉が天下統一事業を受け継いでいくことになります。