歴史3-7 室町時代④ 応仁の乱とさまざまな一揆 解説

1.応仁の乱

1467年、8代将軍足利義政のとき、将軍のあとつぎをめぐって有力な守護大名の間で争いが生じました。この対立は大きな戦乱に発展し、京都は10年以上にわたって戦場となりました。この戦いを応仁の乱といいます。この戦乱によって京都は荒廃し、京都での戦いが終わった後も、全国で戦乱が続きました。

 

こうして始まった戦乱の時代を戦国時代といいます。戦国時代には、下の身分の者が実力で上の身分の者に打ち勝つ、下剋上(げこくじょう)という風潮がみられるようになりました。

 

2.戦国大名の領国支配

下剋上の風潮のもと、守護大名をたおして実力で領国を治めるようになったのが戦国大名でした。

戦国大名は自分の領国を支配するために、家臣や武士・農民などの行動を取りしまる分国法という独自の法律を定めたり、城を中心に家来や商工業者を呼び集めて城下町とよばれる町を形成したりするなど、室町幕府から自立した独自の勢力を築き上げていきました。

 

ちなみに、守護大名は室町幕府の下で権力をふるっていました。これに対し、戦国大名は室町幕府とは関係なく、自分の実力で領国を支配したという点に違いがあります。多くは低い身分の者が下剋上戦国大名になりましたが、武田氏などのように守護大名から戦国大名になった一族もいます(下剋上を防いだ)。

 

 

3.さまざまな一揆

室町時代にはさまざまな一揆(いっき)が発生しました。3種類の一揆について確認しましょう。

 

①土一揆(つちいっき/どいっき)

農民が団結し、さまざまな要求をかかげて荘園領主や守護大名に武力で反抗する一揆を土一揆といいます。土一揆が借金の帳消しを求める徳政令の発令を要求した場合、徳政一揆とよばれることもあります。

 

土一揆の例としては、1428年に近畿地方一帯で起こった正長(しょうちょう)土一揆があります。

この正長の土一揆では、

正長元年ヨリサキ者 カンヘ四カンカウニ ヲヰメアルヘカラス

と刻まれた碑文が残されています。

「ヲヰメ(負い目)」とは借金のことで、この碑文からは、一揆によって借金の一方的な破棄を宣言したことが読み取れます。

 

②国一揆(くにいっき) 

国一揆とは、地元の武士と農民が団結して、守護大名に反抗する一揆です。

 

国一揆の例としては、1485年、現在の京都府で起こった山城(の)国一揆があります。これは、守護大名の畠山氏の軍を追い出し、8年間にわたって自治を行ったというものです。

 

 

③一向一揆(いっこういっき) 

浄土真宗(一向宗)の信仰で団結した武士や農民が起こした一揆もありました。これを一向一揆といいます。

 

一向一揆の例としては、1488年に現在の石川県で起きた加賀の一向一揆があります。この一揆では、守護大名をたおして約100年間の自治が行われました。