歴史2-7 平安時代③ 院政、平氏政権、源平の争乱 解説

1.院政の開始

平安時代の後期になると、藤原氏との血縁関係がうすい後三条天皇が即位しました。これにより、藤原氏の影響力はうすまり、藤原氏の勢力も後退していくことになりました。

 

後三条天皇の子である白河天皇は、1086年に天皇の位を自分の子にゆずって上皇(白河上皇)となりましたが、その後も政治の実権をにぎり続けました。このように、上皇が実権をにぎって行う政治を院政といいます。

 

2.平氏の台頭

12世紀には、都で2つの戦乱が起こりました。1156年の保元の乱と、1159年の平治の乱です。

これらの戦いに勝利した平清盛が政治の実権をにぎり、1167年には武士として初めて太政大臣になりました。

平氏の一族は高い位や官職につき、西日本を中心に多くの荘園をもち、勢力を広げました。

 

平清盛は娘を天皇のきさきとし、生まれた子を次の天皇にするなど、武士でありながら、貴族の藤原氏と同じ一面もありました。

 

平清盛は貿易にも力を入れました。現在の兵庫県神戸市の大輪田泊(おおわだのとまり)という港を整備し、中国のとさかんに貿易を行いました。この貿易を日宋貿易といい、平氏政権にとって重要な収入源となりました。

 

3.源平の争乱

しかし、朝廷の政治を思い通りに動かす平氏に対して、貴族や大寺社、武士などが不満をもつようになりました。 

そのような状況のなかで、平氏のライバルでもある源氏が立ちあがり、源頼朝が派遣した弟の源義経らの活躍により、1185年、山口県の壇ノ浦の戦い平氏はほろびました。

 

その後、源頼朝によって、鎌倉幕府が開かれることになります。