歴史2-6 平安時代②摂関政治と国風文化 解説

1.藤原氏の台頭

平安時代の中ごろから、藤原氏が政治の実権をにぎるようになりました。

藤原氏は、娘を天皇のきさき(后)にし、天皇との間に生まれた子を次の天皇にすることで勢力をのばしていきました。この場合、藤原氏は天皇の母方の祖父ということになりますね。

 

また、藤原氏は、天皇が幼いときには摂政、天皇が成長してからは関白という職について、政治の実権をにぎりました。このような政治を摂関政治といいます。

 

藤原氏の全盛期は、11世紀前半に摂政になった藤原道長と、その子の藤原頼通のときでした。藤原氏は朝廷の高い地位をほとんど独占し、広大な荘園から多くの収入を得ていました。

 

2.平安時代の文化

遣唐使が停止された後、平安時代の中ごろには、日本の風土や生活に合わせて生み出された文化がおこりました。これを国風文化といいます。藤原氏が政治の実権をにぎり摂関政治が行われた時代に最も栄えました。

 

①仮名文字(かな文字)

漢字をもとにして仮名文字(かな文字)が成立しました。ひらがな・カタカナですね。これにより、日本人独特の感情を表現しやすくなり、多くの文学作品がつくられました。

 

②おもな文学作品

日記では紀貫之の書いた「土佐日記」、和歌集では紀貫之らが編集した古今和歌集などがあります。

 

女性による文学作品も多く生まれました。小説では紫式部源氏物語、随筆では清少納言枕草子が有名ですね。

 

 

3.建築と信仰

貴族は寝殿造とよばれる様式の住居に住みました。また、それまでの唐風の服装ではなく、日本風の服装を身につけるようになりました。

 

10世紀半ば以降になると、各地で反乱が起きるなど次第に社会が乱れ、人々の間に不安が広まりました。そのため、念仏を唱えて阿弥陀如来にすがり、死後に極楽浄土に生まれ変わることを願う浄土信仰が流行しました。

この信仰を背景にして、11世紀半ばには藤原頼通が京都府の宇治に平等院鳳凰堂を建てました。平等院鳳凰堂は10円玉のデザインに採用されています。